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リストマーク 伝・助崎城移築門と成田山詣 

2010年02月02日 ()
100201.jpg正月のお城始めに訪城した千葉県成田市の助崎城の城門が近隣に移築され現存しているとのことで、それを見て来た。場所は城趾の東南約1.2kmにある大須賀氏の菩提寺である豊𩜙山円通寺。寺の総門と中門はそれぞれ天正18年の廃城のときに移築した助崎城の東方表門と大手門といわれている。左の写真は総門(伝・助崎城の東方表門)で、この右手に中門(伝・大手門)があったというが、「無くなっている!」と連れて来てくれたオカちゃんが絶叫。確かに最近倒壊したらしい残骸あり。倒壊の危険が心配されながらも、歴史的遺物としての行政的文化財保護はなされなかったという事のようだ。在りし日の写真は以下のサイトで見られる。

 →助崎城(『埋もれた古城』)
 →助崎城(『余湖くんのホームページ』)

1002012.jpgその後、成田山新勝寺を参詣。ここはかつて江戸から三泊四日で行って遊んで帰るところだったようで、当時としては目を見張る様な巨大で絢爛豪華なパビリオンが立ち並ぶ一大テーマパークだったと想像される。平日にも関わらず表参道は賑わっていて、この細い道が土日祝日も車両通行止めにならないと聞いて驚いた。
[2010.02.02(Tue) 09:28] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 根本台城狼煙台跡に工事の手が 

2010年01月12日 ()
100111.jpg美浦村内の根本台城に付随する狼煙台のある浅間山遺構が公園化の工事中だというお知らせを、隣町の方から頂いたのでさっそく見て来た[右下図]。過去に来たときにはとても取り付く手がかりも無いようなものすごい薮に覆われた丘だったが、左上写真のように馬掛のポケットパークからすっかり薮刈りされた斜面が見えている。狼煙台遺構があったと思われる北西端部分の盛り上がりは風除け土塁の跡かもしれない[左下写真]。1001113.jpg


1001112.jpg台地上はすっかり土が押されて平坦に造成されている。私が行った時には工事関係者がいなかったので、詳細は後日文化財センターに確認するつもり。
[2010.01.12(Tue) 21:13] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2010年お城始め 

2010年01月12日 ()
2010年1月2日、昨年は正月休みが無かったのでお城始めもできなかったが、今年はオカちゃんと連れ立って、房総のむらと助崎城を回って来た。

千葉県立房総のむら 房総の伝統的な生活様式や技術に触れられる、体験型の博物館。

100102.jpg重文・旧学習院初等科正堂 代表的な明治の学校様式の建物で、明治32年(1899)に建てられた。AKB48「言い訳Maybe」のPV撮影に使われた事はオカちゃんの掲示板2009年12月3日(木)AKB48ご一行様、佐原へ来たる:その1およびその2に詳しい。

1001022.jpg国史跡・岩屋古墳(龍角寺105号墳) 国内最大級の方形古墳。古墳時代終末期の方墳としては全国第1位の規模。東国最古と言える龍角寺創建に関わる印波国造一族の墓と考えられている。

1001023.jpg移築された上総の農家の軒先で獅子舞や大黒舞の門付けの実演。

助崎城 千葉常胤の四男胤信に始まり、千葉六党のひとつとして知られた国人領主大須賀氏の本城。広大な城域は今は助崎の集落となっているが、戦国期の惣構え景観を今に引き継いでいるのではないだろうか。

1001024.jpg主郭北側の横堀。深い薬研堀。
[2010.01.12(Tue) 21:11] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 2009年に行った城 

2009年12月31日 ()
090119.jpg 1月19日 小坂城【薮刈り後】[右上写真]
   26日 茂木の堀切、雑賀館、手賀の堀切
 2月 2日 小坂城(師匠を誘って)
 4月20日 友部御番陣屋、上台塚、川尻異国船遠見番所&折笠台場、
       初崎台場、河原子台場、坂上陣屋、久慈台場、東塚原台場、
       磯浜海防陣屋
   27日 牛久城【薮刈り後】
0909135.jpg 5月 3日 岡見城【薮刈り後】
   18日 小坂城、下小池城、久野城、吉原二重堀、塙城、島津城
   29日 『図説茨城の城郭』第3刷発行
   31日 茨城城郭会5月オフ:下小池城、久野城、牛久城
 6月29日 牛久城(師匠を誘って)
 7月20日 茨城城郭会7月オフ:本佐倉城、佐倉城、臼井城、師戸城
 8月28日 柳之御所、一ノ関城、盛岡城
 9月13日 多気山城現説[右中写真]
0910054.jpg10月 5日 仙台城、高舘城、岩切城、姫松館[右下写真]、志茂の手館
    6日 山形城、幡谷城、長谷堂城、中山城
11月 1日 常陸大宮市シンポジウム
    2日 山入城、常陸太田城、馬坂城
12月 7日 小田城【現説翌日】
   14日 浜田城(三重県四日市市)
   21日 塚原館【現説直前】
以上、49城

49城はまずまずか。今年は小坂城、牛久城など近隣のお城を再訪する機会がかなりあった。整備が予定されている調査の現説はまだしも、多気山城のようにすばらしい遺構を見せられてこれが見納めですよという現説では忍びない。そのような扱いを受ける史跡が一つでも減ることを希望して年を越したいと思います。

また、来年もよろしくお願いします。
[2009.12.31(Thu) 17:07] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 袋田~山入城~常陸太田城~馬坂城 

2009年12月28日 ()
もう一月半以上も前のことですが、11月01日の常陸大宮市ロゼホールでのシンポジウム『よみがえる 戦国の城』を聴講した後、袋田まで移動し一泊。翌日は、袋田から山入城、常陸太田、馬坂城などを回ってきた。

11月02日
0911021.jpg袋田の滝 曇天のためあんまり写りは良くないが、目で見るとけっこうきれいに紅葉していた。

0911022.jpg竜神大吊橋 揺れないから良いようなもので、とても足下を覗ける心持ちにはならない。

0911023.jpg山入城 入り口を探して少しうろうろしたが、登り始めればほとんどが舗装路。『図説茨城の城郭』表紙のウモさんのイラストになったこれが山入城かと、感慨に浸る。

0911024.jpg西山荘

0911025.jpg常陸太田城 市立太田小学校正門に建つ城址碑。職員室に声をかけて校内を歩かせていただく。「ちょくちょく見学者がありますから」と先生も慣れたもの。

0911026.jpg常陸太田城 校庭西側の土塁。

0911027.jpg常陸太田旧市街鯨丘 太田城城下町。坂下に番屋があったと言われる板谷坂。至る所に路地が入り組んでいる良い街ですが、残念ながらちょっとさびれてます。

0911028.jpg佐竹寺 仁王門の奥に見える本堂(観音堂)は国宝だそうだ。無住ではないがここも寂れた感じ。

0911029.jpg馬坂城 佐竹寺からさらに奥へ行ったところ。
[2009.12.28(Mon) 21:58] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 塚原館 中居城念仏堀にも匹敵する威圧感はまさに城郭の構え 

2009年12月21日 ()
091221.jpg塚原城は2005年1月11日に来たことがあり、薮はかなり酷いものの主郭(1)、2郭(2)、その南側の堀切(A)などを確認している(→塚原館)。最近発掘調査をしていることは聞いていたがなかなか行く機会が無かった。12月23日に現説があるそうだが参加できないので今日見てきた。

0912213.jpg北側からの細い道を入ると両側が一段高くなった削平部があり城門の存在が推測される(a)。その先へ進むと正面には中居城の念仏堀にも匹敵しそうな見上げんばかりの垂直城壁が聳えていて、ここへ突入するのを躊躇させる(b)。そこで左手へ迂回し進むと両脇の鉄砲陣地(c)からの一斉射撃に曝され一網打尽にされるという、恐ろしい仕掛けのある縄張りになっている。以上は、一緒に行った岡田さんの説だ。
[概略図:長さ、方向ともにラフ]

0912212.jpg主郭部周辺の構造にはあまり緊迫感が感じられないが、南東側の部分をそのように解釈すると館と言うよりも城郭の構えが見えてくる。

 →塚原館跡発掘調査現地説明会
 →かしまのざくざく!!
[2009.12.21(Mon) 19:41] お城情報Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

by オカ
本日はどうも。私の説まで載せて戴いてどうもありがとうございます。私はこういう戦闘的な城が好きですね。私の脳内では天正19年の塚原城で何が起きていたのか、妄想で渦巻いております。

by ひづめ
その妄想が現実だったか確認するためにもぜひ、本日の現説へ参加してみてください。

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リストマーク 浜田城(三重県四日市市) 

2009年12月20日 ()
091214.jpg浜田城は室町時代の文明2年(1470)、田原孫太郎景信の三男田原美作守忠秀が築いた。その後、藤綱、元綱らがこの地を領したが、安土桃山時代の天正年(1575)に織田信長の家臣滝川一益に攻め落とされたという。
[四日市市による現地説明版より]

0912143.jpg近鉄四日市駅の南西200mにある鵜の森公園、鵜の森神社に土塁、堀跡が残る。特に鵜の森神社を取り囲む土塁は市街地内としては残存程度が大変に良いと思う。早朝の散策途中社殿周辺の掃除をされていた管理人さんと立ち話。田原藤太秀郷がムカデ退治の褒美として琵琶湖の竜神から与えられ奉納されたと言われる十六間四方白星兜鉢(国指定重要文化財)を社宝として所蔵しているという。0912142.jpg前日行った市立博物館にレプリカが展示されていた。鎌倉時代の特色が強く表された作品だそうだ。写真は、神社で作った解説書と記念品。
[2009.12.20(Sun) 20:11] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 小田城 発掘調査現地説明会翌日 

2009年12月07日 ()
091207.jpg昨日の小田城跡発掘調査現地説明会には残念ながら出られなかったので、今日行ってきた。シートがかかっているし、誰もいないし、ロープも張られているので外から眺めてきただけ。ま、1年に1回小田城の様子を点検するのが目的みたいなものだからこれでもいいか。
[2009.12.07(Mon) 13:53] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 宮城県から山形県のお城巡り(その2) 

2009年10月13日 ()
3日目
山形城
0910061.jpg 二の丸東大手門。通勤通学の自転車がびゅんびゅん通り過ぎて行く。

0910062.jpg 済生館(重要文化財)。東北地方初の医学校兼病院。城内に移築され、山形市郷土館として開放されている。開館時刻前だったが見させてもらえた。
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幡谷城
0910063.jpg 土塁の上を旧街道が通る。しばらく行くと右手に東部大空堀がある。直江軍襲来に備えて大急ぎで拡幅したのかもしれない。左手ロッジの奥から左へ登ると主郭へ到達する。

 幡谷城はお盆明けに草刈りが行われ今が見頃。

0910064.jpg 箱庭の様にこじんまりとした畑谷の集落。

0910065.jpg 西部三重堀。まぁ、2.5重くらいではあるが山上の多重堀は見応えある。

長谷堂城
0910066.jpg 長谷堂城は多数の段郭で構成され、土塁、堀がほとんど見られないのが特徴。

0910067.jpg 正面の丘に直江兼続軍が陣を張った。

中山城
0910068.jpg 登り口は「小学校跡」が目印。解説板脇から道がついている。途中、30mほど離れた土塁上からカモシカが身じろぎもせずにこちらを伺っていた。

0910069.jpg 主郭にある石垣作りの天守台跡。

 ここまで幸いなことに雨に降られず良いお城巡りができた。

おまけ:材木岩
0910060.jpg 

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[2009.10.13(Tue) 10:00] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 宮城県から山形県のお城巡り(その1) 

2009年10月08日 ()
オカちゃんと宮城県から山形県を回ってきた。私は2県とも全く初めての訪城なので、『歴史読本』2009年5月号「日本の名城都道府県別ベスト10」を参考に、運転手のオカちゃんが無理なく回れそうないくつかを選んでもらった。時折しもNHK大河ドラマ『天地人』ブームにあやかって、、、といった城址もいくつかあった。

■1日目
松島
0910041.jpg 仙台到着が若干早くなったので日本三景のひとつ松島まで足を伸ばした。初日だけは天気が良く、遠方の島々も一望できた。因に、日本三景の他のふたつは天橋立と宮島。

0910042.jpg 松島にはこんなあやしい城が堂々と存在。もちろん、D-oneさんの『あやしい城』にも載っている。そこには、2003年廃業と書かれているが、現在は松島城松島観光ホテルとして営業をしているようだ。
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■2日目
仙台城 宮城県仙台市
0910051.jpg 本丸東側の石垣。さすがに近世城郭、作事がでかい。中門枡形跡を車がブンブン走り抜けて行く。

 →仙台城跡(仙台市)

高舘城 宮城県名取市
0910052.jpg 高舘城へ辿り着くには、ホームページ『武隈の里』の「高舘山古墳」の頁が参考になる。ただ、城内は薮がひどくて遺構を楽しむとはいかなかった。それでも主郭南東側の虎口は二重枡形のように見えた。

岩切城 宮城県仙台市
0910053.jpg 近くの道が工事中で辿り着くのに時間が掛った割には、草茫茫で遺構があまりはっきりせずいまいち。

姫松館 宮城県栗原市
0910054.jpg 4日ほど前から行われていた草刈りのほぼ終盤時に訪城するという幸運に恵まれた。遺構がくっきり現れ、すばらしい。尾根を寸断する堀切が各所に設けられているが、その多くが二重堀切になっているのが特徴的。

志茂の手館 山形県最上町
0910055.jpg 麓に到着したのがすでに17時を過ぎていたので、辺りはかなり暗くなっていた。昇り口脇の民家の方に挨拶すると「すばらしい遺構があるよ」と言われ、ともかく急ぐ。比高50mほどを一気に登って息は絶え絶え。I郭とその北側の大堀切は昼間見たらさぞ雄大だろう。I郭の西側にII郭があり、その北斜面から西斜面にかけて十本以上の連続畝状縦堀群がある。こんなに暗くなっていては一人なら絶対に行かないと思われるが、勇敢なる二人の後を追いながらII郭北端に到達。そこから一本、二本と畝堀を数えて堀が西向きになったところから一気に下山し下の道路へ無事帰還。正確な縄張図と磁石のおかげで無駄なく回って来られたが、そのころには日もとっぷりと暮れていた。

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[2009.10.08(Thu) 23:32] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 佐倉周辺オフ会終了 

2009年07月21日 ()
茨城城郭会定例7月オフ会は海の日の7月20日、千葉県佐倉を中心に周辺の本佐倉城、佐倉城、歴博、臼井城、師戸城を回って行われた。参加者は山崎さん、けむしさん、赤飯さん、芦名さん、たかしさん、ひづめ、ひるね。

090720.jpg 本佐倉城 佐倉城で集合した後、まず最初はここ本佐倉城から。前回ここを訪れたのは2002年2月19日。その後国指定史跡となり発掘も徐々に進んでいる。ここでたかしさんが待ち伏せしていて飛び入り。写真は東山馬場付近。この後、南側の向根古屋へ移動して馬出を見る。

0907202.jpg 佐倉城 前回来たのは2001年2月6日。そのときは冬枯れの馬出に雪も残っていた。写真は本丸南側下の出丸と水堀。

0907203.jpg 佐倉城武家屋敷 歴博で昼食を食べ常設展を見学した後、佐倉城周辺を武家屋敷まで歩く。

0907204.jpg 臼井城 前回来たのは2002年2月19日。円応寺側からアプローチしたのは初めて。ここまで佐倉城周辺をそうとう歩いている一行には急な階段がちょっと応えたか。写真は本丸から臨んだ印旛沼。次ぎに行く師戸城は左手木立の向こう対岸。

最後に日の暮れかかった師戸城をざっと見て佐倉城へ戻って解散。
[2009.07.21(Tue) 21:31] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 牛久城 

2009年06月29日 ()
090629.jpg 阿見町のO先生から「トマトを捥いだので取りにおいで」と電話を頂いた。トマトをもらって帰るだけではなんなので牛久城へご案内した。先生が初めて牛久城を見た頃は郭内は畑だったので現在のような感じだったらしいが、その後県史などの調査をする頃にはすでに薮になっていたため、現地にある説明板の縄張図を描くときには全体のイメージは昔の事を思い出しながら描いたそうだ。0906292.jpg
82歳を越えているというのに相変わらず足は達者で、今日は城壁を登ったり降りたりはしないだろうと思っていたのは甘かった。
[2009.06.29(Mon) 18:36] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 岡見城 薮は刈られたが喜んでもいられない 

2009年05月04日 ()
牛久市の岡見城も薮が刈られているとのオカちゃん情報を得て見に行った。『図説茨城の城郭』では「岡見城館群」という見方を提案しているが、その西側城域である本殿、西殿エリアを見てきた。

■岡見城 本殿
0905033.jpg 岡見城と言った場合一般に知られているのは岡見城址碑のある本殿。ここは昨年薮が刈られたそうで、土塁も郭内部も見やすくなっている。


0905034.jpg しかし、伐採した木や竹を堀跡へ放り込んであるとは何たることか。


■岡見城 西殿
0905032.jpg 本殿の東側の本道池(城池)を渡った東側に方形館趾西殿はあるが、個人宅なので声をかけられると良い。こちら側は今年になってから薮が刈られたとのことで、土塁がきれいに出ていた。


090503.jpg ただ、こちらも伐採された木や竹は脇に積まれている状態だった。先週見た牛久城はきれいに片づけられていたのに随分処理に違いがあると感じた。

 これについては以下のようにお聞きした。牛久城は土塁・郭が高所にあるため倒した木や竹を運び降ろすのが危険なので機械を持ち込んで粉砕しチップにしてその場に散布したが、この方法は費用が掛り過ぎて赤字になったのでその他の場所はここのように切り倒しっぱなしにされ、これ以上は処分してくれないそうだ。
 また、今回の薮刈りは「身近なみどり整備推進事業(森林湖沼環境税活用事業)による整備」と立て看板に書かれているが、少なくとも薮刈りは単年度事業で今回限りらしい。薮というのは数年刈り続ければ徐々に弱って来るが、1回限りではかえって日当りが良くなって今年の夏以降には薮がこれまで以上に酷くなるに違い無い。このまま放っておいて欲しくないものだ。
[2009.05.04(Mon) 14:36] お城情報Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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COMMENT

by 五郎
同じ事業の整備とはいえ、牛久城は特別扱いだったわけですか。刈り取った雑木や竹を堀底に捨てるのはいただけませんが、赤字になってしまうのでは、安易に文句も言えませんね。
この事業が単年度でおしまいというのも困ったことですね。市の財政も苦しいでしょうから、あとはボランティアにでも頼るしかないのでしょうかね。

by ひづめ
この先の見通しなど担当者に聞いてみたいところです。

今後の維持管理 by 一考
地域で継続維持するシステムが前提として整備されていないのであれば,ひづめさんお書きの如く,こういう一発屋事業はほぼ無意味でしょうねぇ~。一時は良くても,かえってひどくしてしまう。

継続維持される今後の地域の動向を期待しておきたいと思います。

Re: 今後の維持管理 by ひづめ
この前は地元の方にお聞きしただけですので、もう少し詳しい話を確認しようと思っています。牛久には山田さんたちの活動もあるのでこのまま放ったらかしってことはないと思っています。

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リストマーク 牛久城 薮が刈られて遺構が目の当たりに 

2009年04月27日 ()
五郎さんやオカちゃんに聞いていたので行ってきました。

090427.jpg 薮が酷くてもすばらしい城だった牛久城ですが、その薮が取り払われた今の牛久城といったら、、、。薮刈りのその労力は如何ばかりだったろうかと、以前を知っている者なら誰もが感嘆の声を上げるに違いありません。この作業をされたみなさんのためにも暖かくなって草が伸びる前にぜひご覧になって欲しいと思います。
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画像荒いですが動画もどうぞ。

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[2009.04.27(Mon) 17:05] お城情報Trackback(0) | Comments(6) 見る▼
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COMMENT

by 五郎
びっくりしたでしょう。何年か前には想像も出来なかった変貌ぶりですよね。
またこの整備の仕方が素晴らしいくて、全国の藪城整備の手本になるんじゃないかと感じました。このあとも引き続き維持管理してもらいたいですね。
主郭の筍はどうなってました?

by ひづめ
里山保全事業予算でやったみたいですが、薮刈り維持だけで十分ですね。主郭の筍、直前に蹴飛ばされていたみたいです。

うぉおお! by たすけ
すんばらしい!!
私たち自転車仲間で、今度牛久ポタ(自転車散策)を企画しているのですがその行程に牛久城も含まれています。この状態なら歴史に興味のない人でもきっと、訪れて良かったぁ♪と思ってくれるに違いありません(嬉)

by ひづめ
たすけさん、こんにちは。
 ポタリングで回られるのですか。いいですね。私も本来は自転車派なのですがいまは乗る機会が少なくなってしまいました。牛久城は実にきれいに薮刈りされていますので、大きな堀や土塁がよく見えます。たいていの人なら「おぉ!」と声が出るはずです。天気になるといいですね。また、様子をお知らせください。

by ふくだ
おお、これは見てみたいです。
願わくばこの状態を少しでも長く維持していただきたいものです。

かつてを知っていればいるほど感動は大きい by ひづめ
ふくださん
 かつての牛久城を知っている人ほど、「うおぉぉぉぉ!」だと思います。II郭、III郭の北から土塁上を西へ降りて行った先が船着き場だと私は思っていますが、そちらまできれいさっぱりと刈られていて水際(沼状)まで行けます。

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リストマーク 多気山城が手の届かない城になるピンチ 

2009年04月13日 ()
090413.png 茨城城郭会の掲示板へまどさんからつくば市北条の多気山城(城山城)についての常陽新聞の記事のお知らせがあったが、いよいよ宗教施設が建設され一般の立ち入りができなくなるらしい。

 市民運動の盛り上がりがあれば当事者も行政も何かしらの対策を取ってくれるのでしょうがね。
[2009.04.13(Mon) 21:05] お城情報Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

五郎 by -
ついに始まるのですか...残念ですね。
なんとか貴重な文化財を保護するとともに一般の立ち入りも規制しないでほしいものですが、宗教団体側もなんだか強硬な姿勢のようですね。
文化文京都市であるつくば市民の奮起に期待したい…などというと批判されそうですが、市レベルではなく県、あるいは文化庁あたりが指導力は期待できないのでしょうかね。

by ひづめ
私の北海道での師匠は地元の貴重な遺跡を壊して高速道路を通そうという北海道の計画に対して、シンポジウムや執筆活動を何度もやりながら一般の人にも知ってもらい、結局、予算がよりかかるが遺跡を保護可能な工法へと変更させたという出来事がありました。何かそのような平和解決ができる妙案は無いでしょうかね。

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リストマーク 小坂城 薮が刈られて見頃 

2009年01月19日 ()
牛久市小坂にある小坂城はコンパクトながら戦える城・戦った城として茨城県南のお城ファンにはけっこう人気があるのですが、如何せん薮が酷いのが難点でした。牛久市が測量のために薮刈りをするという話をかなり前に聞いていたので久しぶりに行ってみました。これが2009年のお城始めとなりました。

090119.jpg 国道408号線から見上げた小坂城です。ご存知の方ならばいかにきれいになっているかお分かりでしょう。これならば直登も楽々です。

0901192.jpg 奥はI郭、手前は西側へ張り出したII郭の土塁。

全周動画⇒⇒⇒ 0901193.jpg

測量はすでに終わっている様ですが、暖かくなると瞬く間に薮が復活しますのでこの冬場の散策をお勧めします。小坂城をすでにご存知の方もこれまで目に出来なかった姿が見られますので再訪の価値がありますよ。

【追記】岡見交差点の東側500mを通る圏央道へのアクセス道路が開通して、岡見城の八幡山と南殿が完全に分断されていました。
[2009.01.19(Mon) 16:45] お城情報Trackback(0) | Comments(6) 見る▼
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COMMENT

あの小坂城が by -
こんなに綺麗になっているとは驚きました。あれだけ見事な遺構が藪に埋もれているのはなんとも惜しいことだと思っていましたが、全貌が顕になっているようですね。公園にでもするのでしょうか。変な手が加えられてしまったら、これもまた残念ですが、そうなる前に訪ねてよ~く目に焼き付けておきたいと思います。
圏央道の開通で岡見周辺の環境もこの先変貌が激しいでしょうね。

by ひづめ
五郎さん、おはようございます。
 正月は恒例のお城始めが出来ずお会いする機会もありませんでしたが、今年もよろしくお願いします。
 小坂城、篠竹が短く切られていて歩きやすいとも言えませんが、あの猛烈な薮を考えればきれいなものです。
 1年ほど前に聞いた話ですが、公園化の準備らしいです。

見てきました by 五郎
前のコメント、名前が入ってなかったようで失礼しました。超遅まきながら、今年もよろしくお願いします。ぎりぎりまだ正月ですから良いとしますか。

藪のなくなった小坂城は素晴らしいですね。あれだけ綺麗になっていると、なんだか久しぶりに縄張り図でも描きたくなってしまいました(たぶん実行はしないと思いますが)。それにしてもすぐ脇まで住宅地になってしまったのを見ると、よくもまあ残ったものだというのも実感ですね。
ところで、帰路に対岸の泉城に回ったのですが、あの畑の中の土塁はすぐ見つかると思ったのに見つけられなかった代わりに、北側の大地端の土塁と2本の堀跡を見られました。のものすごい竹薮と民家の裏手でもあるのでよく観察は出来ませんでしたが、土塁はそこそこ、堀の1本はびっくりするほど大きなものでしたよ。

by ひづめ
その堀見てみたいですね。オカちゃんは小坂城見たいって言ってるから、明後日もう一度行きませんか。

小坂城址公園 by ジロン
こんにちわ。

小坂城址は話題に上がっているように歴史公園になります。
今度、藪を整備して余分な木を伐採し、枯葉などを除去して土塁の表面を露出させるなど整備が行なわれます。
現状の姿を記録することができるのはあとわずかです。

僕もいまのうちに360VRを撮って置こうと思います。



by ひづめ
中世城郭の保存は薮刈りだけしてくれるのが一番なんですよね。公園整備が始まると、おかしな改変やコンクリート要壁で固められてしまったり、がっかりさせられることが多いです。

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リストマーク 北陸旅行でのお城歩き 

2008年12月22日 ()
8月29日から9月2日にかけて北陸3県を回りました。短い期間の中で目的が山のようにあったのでお城についてはメジャーどころがほとんど。とりあえず写真だけです。

■福井県
080904.jpg 福井城
  実は期待しないで行ったのですが石垣は十分立派でした。


0809043.jpg  小見放城(おみはなしじょう)
  朝倉氏の一乗谷を臨む一乗山城の中腹にあります。ただ、草薮が酷く雨も降っていたのでどこが遺構やら分かりませんでした。


0809042.jpg 一乗山城
  馬出からのアプローチは砂防ダム工事中


0809044.jpg 一乗谷朝倉氏館


■石川県
0809045.jpg 柴田勝家の付城
  山中温泉の中にあります。これについては「柴田勝家の付城 石川県山中温泉」にまとめてあります。


0809046.jpg 金沢城
  情けない事ですが、広くてへとへとになりました。


■富山県
0809047.jpg 富山城


[2008.12.22(Mon) 22:48] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 峰台館(土浦市) 

2008年12月15日 ()
081215.jpg 土浦市内の峰台館に行って来た。ここは武者塚古墳の南方で上坂田古墳群内にある。差し渡し30mほどの前方後円墳の周囲に堀やら土塁やらが巡らされているが、表面に現れている地形からは防御性を備えた城館らしさに乏しく、城館かと問われるとはてなと?と言わざるを得ない。概略図を描いたのだが定規を忘れたため誤差の多い図になってしまった。
[写真は武者塚古墳]
[2008.12.15(Mon) 22:27] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 小田城へサイクリング 

2008年12月08日 ()
0812082.jpg 12月6日の小田城現地説明会へ参加できなかったので休みを利用して見に行ってきました。平日なので調査関係者が作業をしている事を期待して行ったのですが誰もいなかったため、当日参加した岡田さんに頂いた資料を参考に見て回りました。081208.jpg北門近くの発掘場所にはブルーシートが掛けられ全体は見られませんでしたが一部障子堀の畝が現れていました。
[2008.12.08(Mon) 18:01] お城情報Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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by ふくだ
も、もしかして美浦から小田城まで自転車ですか!?

by ひづめ
ふっふっふ、そうです。往復54km。

by ふくだ
行きはずっと、向かい風ですね。ひえ~。
つくばに住んでいた頃は、自転車で何度か小田城へ行きましたが、市内ですから近いものでした。

by ひづめ
幸いな事に行きは無風に近く、小田城直前で少しウィンドブレーカーがハタハタするくらいでした。その程度の風なので帰りは軽く背中を押してくれている感じでした。
この次の休みもまたりんりんロードの途中にある館跡を見に行く予定です。

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リストマーク 屏風ヶ崎城 名称に関する考察 

2008年11月04日 ()
先日から書いている牛久沼東沿岸の城跡に関する続々編。

 名称について二転三転している。最初はまったく地名が分からなかったためにとりあえず牛久沼の東側に位置するから「牛久沼東城」とした。直後に、その台地に馬場台という小字がある事を知り「馬場台城」に変更した。そこからさらに、「屏風ヶ崎城」へ変更しようと思う。その理由は以下に。

081104.jpg 『伊奈町史 史料編一』の「岡見集覧」という文書の中に牛久城周辺の城の配置図がある[左写真]。略図の上に現実の地形を鏡に映した鏡面対象になっているのは変なのだが、3つの[城跡]にそれぞれ以下のような当時の呼称が添えられている。[城跡]今新地ト伝(東林寺城と思われる)、[城跡]今城中ト伝(牛久城と思われる)、[城跡]今屏風ヶ崎ト伝(本件の城と思われる)、若柴の方(城跡とは書かれていないが八幡台城と思われる)。

0811042.jpg 3番目の城跡を以前は遠山城だと思っていたが、牛久沼にこれだけ特徴的に突き出して描かれているということから遠山城よりもむしろ本件の台地を指しているのかもしれないと考えるようになった。それは、本件の台地を沼側から見ると長い台地縁が見えるわけでまさに屏風の様に見えると想像できるからだ。遠山城を沼から見てもそうは見えないと思われる。さらに「今屏風ヶ崎ト云」が示している部分を沼面の東側一帯のことだと思い込んでいた(沼面上に書き込まれていたから)のだが、これはまさに3番目の[城跡]の呼称そのものだと気づいたというわけだ。

 ただ、「新地」、「城中」は現在も使われているが、「屏風ヶ崎」の地名は聞いた事が無い。若柴の旧家の方にもお聞きしたが知らないとのことだった。その理由を以下のように考える。もともと水際から屏風のようにそそり立っていた台地も次第に水辺から遠くなって行き、さらに6号国道や鉄道が通ると沼側から「屏風」のようには見えなくなってしまったのではないか。そうして、人びとの意識から「屏風ヶ崎」が消えてしまったと想像できる。ということは明治初期までに書かれたものであれば「屏風ヶ崎」が出てくるかもしれないので、そんなところにも気をつけておこうと思う。また、この台地が屏風に見えるのは牛久沼の東岸以外から眺めた場合なので、沼の北西南側での聞き取りも必要と思う。
[2008.11.04(Tue) 10:45] お城情報Trackback(0) | Comments(6) 見る▼
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by 五郎
ひづめさんによる地理的、地形的な検証は十分納得できます。私も間違いないような気がしてきました。後は文献探しと聞き込みですか。
手始めは明治の迅速図あたりがすぐに見られるでしょうが、もう確認済みですか。「屏風ヶ崎」の地名までは期待できませんが鉄道が通る前の地形がわかるかもしれませんね。

by ひづめ
迅速図はまだ未確認です。それと、牛久沼周辺での聞き取り、五郎さんもお願いします。

by 五郎
きょう牛久の図書館で迅速図を見てきました。
やはり屏風ヶ崎の地名はどこにも書いてなかったですが、崩される前の地形は確認できました。想像したとおり鳥の嘴状に神社まで伸びていたようです。高さもと同時にその薄っぺらな地形も屏風のようなイメージだったのかもしれませんね。
道で年寄りに出会ったら聞いてみようと思ったのですが、出会いませんでした。なかなか家を訪ねてまでは聞きづらいですね。また機会があったら城中辺りを歩いて年寄りを捉まえてみます。

by ひづめ
五郎さん、ありがとうございます。
 牛久図書館には迅速測図があるのですか。いいですね。近辺だけでしょうか?

 航空写真からの推測通り、鳥のくちばしみたいに薄っぺらでしたか。西側辺縁はどうだったでしょうか。ほぼ航空写真で見られる現在のラインでよろしいでしょうか。南西側に土塁らしきものを見つけた部分って、高所恐怖症の私には見下ろせないような断崖絶壁だったのですが、それは土取によるものかあるいはもともとの地形なのか、迅速測図ならば答えがありそうです。もともと断崖絶壁であればますます屏風のように立ち上がっている様に近づきます。

by 五郎
迅速図はたしか関東地方一円が揃っていたと思います。近辺を見ただけですが、中世城郭でそれなりに図示されているのは牛久城、木原城、小幡城くらいでしたよ。

5万分の1ですから細かいところまでは読み取れませんが、ほぼ航空写真から想像されるとおりだと思います。予想以上に細かった印象ですが。
南側の土塁の場所(墓地の先でしょうか)も見てきたのですが、私には確実な土塁は認識できませんでした。崖は若干削られているみたいですね。

by ひづめ
辺縁が若干高く盛り上がって見えたのですが土塁ではないのかな。

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リストマーク 仮称・牛久沼東城(馬場台城) 牛久城防衛砦群のひとつか 

2008年11月01日 ()
前回の記事の続編。

 牛久沼の東側の舌状台地先端部に砦らしきものがあると、五郎さんから情報をもらったのでさっそく見て来た。

081027.jpg 場所は見出し写真をご覧になればすぐにお分かりと思う。
 台地北端部に近い部分に堀切が埋もれてしまったと思われる小規模な土塁と堀があったが、これが五郎さんの言われる堀と思われる。その北側にも段差があるが遺構なのかどうかわからなかった。航空写真を眺めると、常磐線を越えて北西方向にも台地は伸びていたように推測されるが今となっては土取や削平で遺構を忍ぶものは馬内踏切西側の大杉神社の小山くらいだ。
 台地を東西に突っ切っている県道八代庄兵衛新田線を横断して南側台地を見たところ、墓所の西側台地辺縁に沿って土塁状の盛り土構造があった。
0810272.jpg 位置的には、北から東林寺城、牛久城、遠山城、本件の台地、八幡台城と並んでおり、牛久城防衛に関連した砦群のひとつが置かれていたと考えるのが自然だと思う[右写真]。本日のところ小字が知れないので「仮称・牛久沼東城」としておく。

 今回五郎さんから情報をいただき、『伊奈町史 史料編一』岡見文書「旧記集覧」の絵(p297)を思い出した。牛久沼との位置関係が鏡で映したように左右反転しているのは変だが、北から新地(東林寺城)、城中(牛久城)、城跡(遠山城あるいは本件の台地)、若柴の方(八幡台城)という城の並びは合理的に思える。そして、極端に牛久沼へ突き出した形状からすると、遠山城よりも本件の台地がこの絵の城跡に相当しているように感じられる(ただし、古文書の絵を模写した図のためどこまで正確かは疑問だが)。

【追記】後日、五郎さんから「あの台地の小字は馬場台、台地下のぐるりは馬場下となっている」と教えてもらった。将来的に正式名称がどうなるか分からないが、ここでは小字を採って「馬場台城」としておくことにする。
[2008.11.01(Sat) 05:36] お城情報Trackback(0) | Comments(8) 見る▼
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COMMENT

by 五郎
ひづめさん、こんばんは。
早速現地踏査していただいて有難うございます。こうして全体の配置を見ると、牛久城をに関連した遺構と考えられますね。牛久城防衛のためか、あるいは反対に牛久城攻略のための付城の可能性も皆無ではないでしょうが、例の絵図の城跡には適合しそうで興味深いですね。
それにしても先端部が大きく土取りされれしまったのが惜しまれます。明治初期の迅速図を見てみたいですね。

by ひづめ
五郎さん、こんばんは。
>牛久城防衛のためか、あるいは反対に牛久城攻略のための付城の可能性も皆無ではないでしょうが
 そうですね、両方を想定しておくのがよいですね。
>例の絵図
 「屏風ヶ崎」の名称は本件の城跡と考えて良いと思います。

by 五郎
>「屏風ヶ崎」の名称は本件の城跡と考えて良いと思います。

図に書いてある「屏風が崎」の文字はどの辺りの地名なんだろうと思っていたんですが、あの城跡に対してものだったんですね。こんな当然のことを、今頃気がつきました。
ということは、現在の地名とは違いますが「屏風ヶ崎城」が適当かもしれませんね。馬場台城も悪くないですが、こっちのほうがずっといい感じじゃないですか。

by ひづめ
五郎さん、こんばんは。
 確かに、「屏風ヶ崎城」もいいなぁ。五郎さんへのメールに書いた簡単な考察を付した上でもう一回直そうかな。

初めまして by ジロン
こんにちわ。

牛久城址の正確な位置情報を知りたく調べていて、このサイトに行き当たりました。

牛久沼周辺には牛久城址以外にもたくさんの砦や城址があるのですね。

頓挫していた国道6号牛久バイパスの工事が行われたら牛久城址の一部は破壊されてしまうんじゃないかと不安に思って、牛久城址とバイパス予定ルートの照らし合わせをしているのですが、やっぱり牛久城址はバイパスの下敷きになってしまうのでしょうか?
なぜもっと歴史遺物が尊重されないのか腹立たしくて仕方ありません。

なぜ一度頓挫したのにまた再開するのだろう・・・

by ひづめ
ジロンさん、はじめまして。お越しいただきありがとうございます。

ジロンさんのページはQuickTimeVRで東京の風景を記録しようと言うコンセプトなのですね。私はVRの作り方を知りませんがきっと手間のかかるものなのでしょうね。

牛久沼周辺の城館・砦群、たくさんありますね。そもそも巨大なお城が一つぽつんと作られるという事の方が不思議なんですよ。そして、城郭の広がりもこれまでは狭く見過ぎていたように思います。ですから、ごく中心部の遺構だけを調べてそれ以外の部分は工事してOKみたいな状況になってしまうのだと思います。県内随一と言われる茨城町の小幡城も範囲認識が狭すぎたためについ最近大手門付近のすばらしい堀土塁が茨城空港アクセス用高速道路建設によって壊されました。ほとんどの県民が価値を見いだせないでいる茨城空港のために壊されるなんてもったいない事です。

国道6号牛久バイパスは牛久城大手門跡の南側を横切るコースですから、そこは牛久城のまさに城中です。自動車が日本中をびゅんびゅん走り回ることが豊さの象徴イメージだった半世紀も前の思想と利権で動かされている政治が続く限り、歴史遺物の尊重どころか人の命だって紙くず扱いです。

また、お越し下さい。

お久しぶりです。 by ジロン
ご無沙汰しております。

牛久市の小坂城址が市の指定文化財になり、いよいよ史跡整備の準備に入りました。
しかし、城址の歴史や史実、伝説などの資料公開をどうするかなどはまったく手付かずで、今後史跡としてどうするかより、公園としての活用が先に立っているような気がして気がかりです。
かく言う僕も検討委員の一人として会議に参加してはいるのですが、平日の仕事の合間のため、いつも1時間程度しか参加できないため、必要な話が出来ていないような状況です。

牛久バイパスは本当のところ、市役所でも乗り気ではなく国土交通省がごり押しで進めている事業のようです。
市としては史跡にしろ自然環境にしろ、あの近辺は残したいようなのですが、市が数年前に計画した市道再整備に便乗して国土交通省の横槍が入ったらしいのです。
市道が整備されればバイパスの必要性はなくなりますので、市の資産を壊さないで済むようにもっと国土交通省の強引なやり方に待ったをかけられるようにネット上でもいろいろな場所に書き込んでいきたいと思います。



by ひづめ
ジロンさん

お久しぶりです。
国土交通省のごり押し、相変わらず変わらないようです。自民党政権の中で長年に渡って育て上げられてしまった時代遅れの体質、地元の資産と未来を食い潰ぶされる事にはマッタをかけたいものですね。

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リストマーク 牛久沼の東側砦群のひとつか? 

2008年10月27日 ()
0810273.jpg牛久沼の東側の舌状台地先端部に砦らしきものがあると、先日五郎さんから情報を頂いた。さっそく見に行った。詳しくは後日。右写真は常磐線馬内踏切からの遠望。

 それにしても、全面ものすごい薮薮薮。マムシはいるわ、スズメバチは警戒飛行をしているわで、おちおち遺構探しもしていられない雰囲気。
[2008.10.27(Mon) 19:00] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 土浦市の常名城(ひたなじょう)を更新 

2008年09月08日 ()
1年半ぶりにホームページ『美浦村お散歩団』を更新しました。こんなにさぼっていたのは、WEBデザイン用ソフトGoLiveCSのファイルが壊れてしまいページ更新が億劫になっていたからです。

0809082.jpg 本日は土浦市常名(ひたな)の旧家の方に常名城の有力比定地をご案内いただきました。「常名城」をGoogle検索しても私のページくらいしか引っかかってこないということは、これが世界で唯一の情報!これはなんとしてでも更新しなくてはご案内いただいた方に申し訳が無いと思った次第。なんとか自力でHTMLファイルを解読して更新しました。→常名城
[2008.09.08(Mon) 18:40] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 柴田勝家の付城 石川県山中温泉 

2008年09月07日 ()
08090713.jpg石川県加賀市の山中温泉は周囲を山に囲まれた名称通りの山の中の温泉町。その温泉町を見下ろす東の山々に山中城、黒谷城およびそれらの支城、砦が点在する。これらの城郭群と町を挟んで対峙するように西側尾根に柴田勝家の付城はある。[右写真と図:ブログ『左らく天』よりお借りした]
 歴史的には、天正8年、朝倉氏の残党と加賀一向一揆勢が拠った黒谷城を攻めるために柴田勝家軍が陣城・付城として構築したと考えられている。
 地元の方であれば散歩がてらに見に行ける手頃な城郭遺構だ(茨城から行くには一大決心が必要だが)。

080907.jpgこの地図に沿って以下のように歩いてみた。全体的にコンパクトで遺構のダイナミックさには欠けるが、梯郭式(ていかくしき)の郭配置がよく残っている。高井勝己氏の『図説・石川県の城VI 続・加賀の山城』の図で郭の配置を参考にされると良い。

0809072.jpg(1)医王寺の脇から水無山への登山道が付いていて(3)の地点まで上がれるが、道は狭いし急だし雨上がりにはちょっと危険な気がする。私は宿泊していた白雲閣の前の道から行った。舗装はしていないが車道と言っても良い歩きやすい道だ。尾根の北側先端部に木の階段があるがそこは昇らず400mほど行った左手の木の階段を上った。

0809073.jpg(2)そこを上ればすぐに尾根へ出て、目の前には送電線の鉄塔が立っている。

0809074.jpg(3)鉄塔から北へ100mほど歩くとトリムの立て看板がある。右側(東側)に医王寺からの道が合流。

0809075.jpg(4)合流地点から北へ50mも歩けばいよいよ堀切と搦手の虎口が見えてくる。階段が付いているから見落とすことは無いはず。

0809076.jpg(5)数十メートル北へ歩くとまた堀切。この堀切を越えると一ノ曲輪の平坦地がある。

0809077.jpg(6)一ノ曲輪の北西側の虎口を抜けると二ノ曲輪に下りる。二ノ曲輪の東側に何やら石碑が立っている。

0809078.jpg(7)さらに二ノ曲輪の北西側の急な虎口を下りると三ノ曲輪に出る。この曲輪は幅が狭く二ノ曲輪の西側から北東側を取り巻く帯曲輪の形態だ。

0809079.jpg(8)三ノ曲輪から二ノ曲輪を見ると厳しい切岸になっている。フィールドアスレチックの残骸が残っているが、このような手がかりでも無ければ昇るのはたいへんだろう。

08090710.jpg(9)三ノ曲輪から少し行くと大型の堀切があり、ここにもフィールドアスレチックの残骸が。(4)の堀切から(9)の堀切までが城域と考えて良いと思われる。

08090711.jpg(10)地元の人が「源氏山」と呼ぶ先端部の高まりはスポーツ広場として整備されかけたようだが現在はここも荒れている。この下にさらに何か防御施設があるのか不明だが、ここに物見くらいは置いただろう。戦闘になれば(9)の堀切で守ることに専念するだろうが、こんな尾根地形では兵を休ませる場所もなかなか無く、案外ここは武者溜だったのかも。そもそも、黒谷城攻撃のための陣城・付城であるから防御性能は低くても致し方ないのだが。

08090712.jpg(11)上の(10)にある塚状の構造物で「狼煙台」の立て看板がある。周辺部は風除け土塁のように見えないでも無いが、広場整備の過程で盛られたものかもしれない。それは地元の方がご存知であろう。

次回はぜひ、山中城から黒谷城をぐるり一周してみたいものだ。真夏ではなく、かつ雪の無い季節に。

【参考文献】高井勝己著『図説・石川県の城VI 続・加賀の山城』
[2008.09.07(Sun) 22:59] お城情報Trackback(1) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 上三依(かみみより)~会津防塁ツアー(2日目) 

2008年08月20日 ()
6月20日に「上三依(かみみより)~会津防塁ツアー(1日目)」を報告したきり2日目がまだでした。今回も簡単な解説だけの手抜きです。

08bonari.jpg母成峠防塁
 二日目は朝から雨。傘をさしながらの薮歩き。ここの土塁の走行は複雑で一回りして戻ってきたときには方向などが混乱してしまっていた。納得するまで歩き回れなかったのが残念。


09inawashiro.jpg猪苗代城(亀が城)
 野口英世も子供の頃遊んだという亀が城。石垣もなかなか見事。美しく壮大な土塁も見られる。


10tonoharaguchi.jpg戸の口原古戦場
 白虎隊奮戦の地と大看板が立っているが、無名の農民兵も多数戦死したという。


10tonoharaguchi02.jpg戸の口原西軍陣地
 小山の斜面に簡単な塹壕が残っている。雨と薮が酷く一つだけ見て終わり。箱館戦争時土方歳三が指揮した二股口の台場山に残る塹壕に似たもの。


11takizawa.jpg滝沢陣屋
 会津藩の本陣。戊辰戦争時には松平容保がここで指揮を執ったという。


12odayama.jpg小田山砲台
 西軍が会津若松城を射程に入れた砲台。
[2008.08.20(Wed) 00:10] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 阿見をサイクリング 

2008年07月14日 ()
080714.jpg 近頃休日は天気が悪いこともあるがちょっと仕事でバタバタすることもあってお城めぐり史跡めぐりから遠のいていた。今日も梅雨のさなかで曇りだか雨降りだかはっきりしない空模様だったが、阿見町方面へサイクリングをしてきた。

 君島の鹿島神社→阿見町のパン屋グリンデンワルトで昼食→清明川の舟子堰跡

 君島の鹿島神社前に建てられていた「まゆの郷」碑文には、昭和23年に養蚕組合ができ昭和48年には6棟の協同養蚕小屋をその場所に建て増産を計り平成4年夏蚕まで生産を行ってきたことが書かれていた。そんなについ最近までと、改めて驚く。

 阿見町青宿のパン屋グリンデンワルト、おいしいパンを焼いているが、ここのフィセル、ベーコンエピなど堅焼きパンは絶品中の絶品。甘い系のパンも品の良い甘さなのが良い。月変わり限定パンもお勧め。

0807142.jpg 途中、阿見の産直市に寄って大竹スイカ農園のスイカを東京の親元へ送っておいた(右写真)。

 舟子堰跡(上写真)、これにいままでどうして気づかなかったのだろうか。雑草で覆われていたのかもしれない。こちらへ蛇行していた流路をまっすぐに改修したため堰跡がトマソンのように置き去りにされていた。
[2008.07.14(Mon) 15:55] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 上三依(かみみより)~会津防塁ツアー(1日目) 

2008年06月20日 ()
 6月最初の休みを利用して、オカちゃん、五郎さん、ひるね、ひづめの4人で、栃木県から福島県会津方面を一巡りしてきました。記事を書かねばと思いながらも書けていませんので、写真だけでもアップしておきます。

01tobiyama.jpg飛山城


02ninomiya.jpg二宮堀
 二宮尊徳が指導して作らせた水害、猪害防止の堀だそうだ。


03tsurugabuchi.jpg鶴ケ渕城防塁
 7年来来たかった上三依の防塁。この写真は馬出の中。


03tsurugabuchi02.jpg鶴ケ渕城砦
 防塁の東側にそびえる尾根上に作られた城塞。直登はかなり厳しい。尾根伝いに歩くのも運動不足の身には応えた。構造的には単純で、堀切一つない。


04shigiyama.jpg鴫山城 しぎやまじょう。


05ohuchi.jpg大内宿
 普段は観光地へはめったに寄らないが、昼食の都合で福島県下郷町の大内宿へ立ち寄った。会津若松と日光・今市を結ぶ会津西街道にあり、茅葺き屋根の民家が軒を連ねる風景は壮観。


06banyu.jpg馬入峠防塁 ばにゅうとうげ。


07sejidoh.jpg勢至堂峠防塁 せじどうとうげ。

この後、今夜の宿泊地沼尻温泉へ向かいました。
[2008.06.20(Fri) 20:29] お城情報Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

by ふくだ
会津西街道を北上されたのですね。
このあたりの防塁は、上杉時代のものなのでしょうか、それとも幕末戊辰戦争の頃のものなのでしょうか。
緑豊かな写真からにじむような季節感が伝わってきます(^_^;

by ひづめ
ふくださん、こんにちは。
 解説を書く暇がなくてというのは言い訳ですけど、分かり難くてすみません。
 ご質問の件ですが、これらの防塁群は交通・戦略上の要衝というのはいつの時代にも同じなのだということを改めて納得させてくれます。ほとんどが両方の時代に使われていると言っても良い様です。
 オカちゃんは一部の遺構については冬の時期にも来たことがあったらしいのですが、さすがに今回は緑豊かな薮に変わっていて「この先は何度も行っているのでひづめさんとひるねさんでどうぞ」なんてことも。

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リストマーク 久しぶりに地元の城をご案内 

2008年03月24日 ()
昨日は穏やかな晴天に恵まれ、神戸から見えた『図説茨城の城郭』の読者Fさんとひたち野うしく駅で合流し、牛久城~吉原二重堀~割目土塁~雀久保土塁~木原城をオカちゃんといっしょにご案内。Fさんは実は県西出身、私なんかよりもず~と昔から地元の城館を回られていた。もしも、地元に残られていたらいっしょにこの本を作ったに違いない。

080323.jpg 牛久城の愛宕神社前の道はその少し南で斜めにクランクしているが、これは枡形を臭わせる。その道に隣接する民家の敷地に土塁の残欠と思われるものがあった[右写真]。そういえば、昨日は五郎さんも同じ頃牛久城に来ていたらしいが、北と南で別の場所にいたため現地でバッタリということはなかった。

0803232.jpg 吉原二重堀はそのど真ん中を道路が通ったため中間部が隠滅した事はすでに報告済み(「吉原二重堀土塁(道路開通後) 」)。今日は『図説茨城の城郭』カラー口絵にも取り上げた県道に面した堀の中に「管理地」という看板が立っている事に気づく。もしやここも風前の灯なのかと不安を感じる[左写真]。

0803233.jpg 雀久保土塁の西側の湿地には一昨日の雨が溜まっていて水堀の様子をよく見せている[右写真]。

0803234.jpg 木原城本丸、二の丸[左写真]周辺を回った後、二重堀へ移動し端から端まで踏破。

 昨日、ひたち野うしく駅へFさんを迎えに行ったときにパトカーが慌ただしく走り回っていたのをいぶかしく感じていたが、同じ頃隣の荒川沖駅で悲惨な事件が発生していたからだったのだ。ニアミスで助かった。
[2008.03.24(Mon) 17:27] お城情報Trackback(0) | Comments(4) 見る▼
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COMMENT

by 五郎
牛久城ではニアミスでしたね。年々竹藪が酷くなってますが、一部は整備されていたので将来に多少希望が見えた...かな。木原城の土塁は相変わらずきれいですね。でも二重堀は相変わらずですか。

by ひづめ
木原城の二重堀は相変わらずの藪です。

by ふくだ
日曜日はすっかりお世話になりました。
竹藪に埋もれた本城域と集落の広範囲に遺構が残る牛久城、豪快・豪放・ダイナミックな木原城、二重堀や湿地を取り込んだ濠など様々な表情を見せる街道閉塞堀切群。
どこもかしこも新鮮で、常総の土の城を久方ぶりに堪能することが出来ました。
また機会がありましたら、お城巡りをご一緒させてください。

by ひづめ
ふくださん、おつかれさま。無事にご帰還されたようでなによりです。稲敷の巨城と戦国土塁ツアー、ご満足いただけてよかったです。また、どこかのお城の藪の中か満点の星空の下でお会いしましょう。

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リストマーク 大洗を満喫 『古代・中世・近世・近現代・郷土食オフ』 報告 

2008年03月20日 ()
3月16日(日)
参加者:一考、水浜軌道、清兵衛、あきもと、赤飯、ひるね、ひづめ[順不同敬称略]
080319.jpg前夜祭 於:食事処ほんだ
3月17日(月)
参加者:一考、水浜軌道、あきもと、ひるね、ひづめ[順不同敬称略]
0803192.jpg一杯館踏査
 台地基部に堀切様地形発見(近代の排水施設と重なるため城館遺構と断定できず)
 長い細尾根にその他の堀切が無いのが不思議

0803193.jpg茨城交通水浜線・新大洗駅ホーム跡
 大洗磯前神社鳥居脇の風景を古写真と比較

昼食 於:栗崎屋 昼食のみポテト姫さん参加

講演会『地名「大洗」の意味と意義』聴講
 講師:竹下睿騏氏 於:オーシャンビューホテル

0803194.jpg織姫塚踏査
 涸沼川に突き出した光圀伝説のある塚
 周囲は切り立ち、川に面した側は礫層むき出し
 頂上から下を見ると怖い

0803195.jpg養鰻場跡踏査
 一考さんも残存を知らなかったという近代の遺産
 価値ある再発見です
 一考さんの解説→
 「茨城県水産試験場養鰻場の歴史」
 
「茨城県水産試験場養鰻場の歴史2」

0803196.jpg一文渡船場跡から涸沼川の向こうに沈む夕日を眺めてオフ会終了
[2008.03.20(Thu) 00:39] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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リストマーク 滝山城 

2008年03月03日 ()
080303.jpg 久しぶりに東京の実家へ行った帰りに、ちょっと足を伸ばして八王子市にある滝山城へ行って来た。ここは国内でも有数の平山城とみなさん絶賛しているが、たしかに構造にメリハリがあり、またそれがくっきりと残っている見応えのある城だった。ウモさんの滝山城ページがとても参考になった。
[2008.03.03(Mon) 23:13] お城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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