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2013年04月21日 ()
ただいま土浦市の上高津貝塚ふるさと歴史の広場で第12回特別展『古代のみち』 が開催されている事を以前お知らせした。直線官道は我が家の近くも通っているので以前から興味がありHPの項目「信太郡衙(しだぐんが)と古代官道」に取り上げている。しかし、江戸崎の下君山から阿見町の向坪まではかなり明確に道を辿れるのだが、そこから先が急に分からなくなってしまう。地図に定規を当てて角度をずらしながらこっちかな、あるいはこちらかなと考えた事はあった。しかし、そこから先を調べる事無くいままで来てしまった。今回の特別展を見に行って「しまったなぁ」とかなり悔しい思いを持っている。

1304011.jpgそれは、阿見町飯倉の厳島神社が清明川を渡河する堤状の直線官道を利用していることを、展示会を企画された担当学芸員さんが踏査推定されていたからだ。ここいら辺は、塙城周辺のお城歩きその他で何度も通っているし、向坪以北の直線官道をもう少し気を入れて探していれば決して気づかなかったポイントではないと思われたからだ。

ご興味を持たれた方は、ぜひ展示会図録を参考に周辺を歩いて厳島神社の堤の微妙な方向と、薮に埋もれた後背地の林の中に残る下君山方向からやって来たと思われる道を確認して欲しい。
[2013.04.21(Sun) 20:27] 古代・官道 | Trackback(-) | Comments(2)
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COMMENT

by 伊賀蔵
ひづめさんこんにちわ。
後日郵送で図録が届いたので改めて眺めて楽しみました。
清明川を渡るこの場所ですが、
川を渡った先も直進していく、という説に対して
個人的には違和感をもっています。
(川を斜めに突っ切るのかあ、とか・・)
で、今の工業団地内を走る道の方角にて
廻戸あたりまで定規をあてると「・・・おや?」と
感じるものがあるのですが、どうでしょう?

以前、牛久の奥原土塁を訪ねたときは知る由も
なかったのですが、
ちょうど土塁のあったあたりの十字路で、
下君山方面へと、願名寺方面への道がそれぞれ
実は変遷前・変遷後の官道の名残であることを知り、
改めて驚かされているところです。
あんなのどかな農道にそのような歴史が潜んでいるとは・・
いろいろ眺めていると、「鎌倉街道」も含んだ
変遷の経緯みたいなものが見えてくるようで
なかなか興味がつきない話題ではあります。




by ひづめ
>下君山方面へと、願名寺方面への道がそれぞれ
実は変遷前・変遷後の官道の名残であることを知り、
改めて驚かされているところです。

奈良時代平安時代で官道のルートが大きく付け変わる、その分岐点があそこなのかと今回の展示会で私が最も感動したのはここかもしれません。

>清明川を渡るこの場所

清明川は大河ではないし、当時の河道はもっと蛇行していたと思うので流域に対しては斜めでも、川の流れに対しては斜めでなかったかもしれませんよ。厳島神社の官道上説は支持したいですね。

>工業団地内を走る道〜廻戸あたりまで定規をあてる

伊賀蔵さん、鋭いですね。廻戸の部分は堀部先生も官道と推定していますのでそこへどのように接続するかの対案ですね。清明川を渡河してそのまま丘を直登する堀部説では諏訪廃寺へ直進することになります。伊賀蔵説だと、渡河した後直登せずに北西へ向いて丘を斜めに登って行く感じにはなるでしょうか。諏訪廃寺に激突しないことが良いですね。香澄の里工業団地内のメインストリートは開発のために付けられたのではないもっと古い道であることは確かです。

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COMMENT

ひづめさんこんにちわ。
後日郵送で図録が届いたので改めて眺めて楽しみました。
清明川を渡るこの場所ですが、
川を渡った先も直進していく、という説に対して
個人的には違和感をもっています。
(川を斜めに突っ切るのかあ、とか・・)
で、今の工業団地内を走る道の方角にて
廻戸あたりまで定規をあてると「・・・おや?」と
感じるものがあるのですが、どうでしょう?

以前、牛久の奥原土塁を訪ねたときは知る由も
なかったのですが、
ちょうど土塁のあったあたりの十字路で、
下君山方面へと、願名寺方面への道がそれぞれ
実は変遷前・変遷後の官道の名残であることを知り、
改めて驚かされているところです。
あんなのどかな農道にそのような歴史が潜んでいるとは・・
いろいろ眺めていると、「鎌倉街道」も含んだ
変遷の経緯みたいなものが見えてくるようで
なかなか興味がつきない話題ではあります。



[ 2013.04.24(Wed) 20:53] URL | 伊賀蔵 #- | EDIT |

>下君山方面へと、願名寺方面への道がそれぞれ
実は変遷前・変遷後の官道の名残であることを知り、
改めて驚かされているところです。

奈良時代平安時代で官道のルートが大きく付け変わる、その分岐点があそこなのかと今回の展示会で私が最も感動したのはここかもしれません。

>清明川を渡るこの場所

清明川は大河ではないし、当時の河道はもっと蛇行していたと思うので流域に対しては斜めでも、川の流れに対しては斜めでなかったかもしれませんよ。厳島神社の官道上説は支持したいですね。

>工業団地内を走る道〜廻戸あたりまで定規をあてる

伊賀蔵さん、鋭いですね。廻戸の部分は堀部先生も官道と推定していますのでそこへどのように接続するかの対案ですね。清明川を渡河してそのまま丘を直登する堀部説では諏訪廃寺へ直進することになります。伊賀蔵説だと、渡河した後直登せずに北西へ向いて丘を斜めに登って行く感じにはなるでしょうか。諏訪廃寺に激突しないことが良いですね。香澄の里工業団地内のメインストリートは開発のために付けられたのではないもっと古い道であることは確かです。
[ 2013.04.26(Fri) 10:53] URL | ひづめ #MLEHLkZk | EDIT |

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