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2012年11月06日 ()
前から行きたいと思っていた八王子城へ登って来た。

11月04日(日)
1211042.jpg昼、まずは八王子市郷土資料館を目指して出発。10月20日、八王子城趾入り口にガイダンスセンターがオープンしたのを記念して、現在郷土資料館で特別展『八王子城』が開催されている。遺物、特にレースガラスは言うに及ばず五彩、青白磁のような豪華な陶磁器の多さに驚く。

121104.jpg八王子城登山は明日のお楽しみにして、宿へ向かう前に片倉城を見ておく。縄張図の南西端に描かれている丸馬出が気になるが、あまりの薮のため突入は諦めた。

11月05日(月)
12110501.jpg八王子城趾
管理棟の前ではオレンジャー姿のボランティアガイドさんたちが準備中。本丸、詰めの城までのおよその時間を聞いて心構えをする。

12110502.jpg登山、登山、登山、、、
ただひたすら山道を登り続ける。

12110508.jpg八王子神社
八王子の地名の由来になったという。管理棟→八王子神社30分。

12110504.jpg本丸

12110505.jpg馬冷やし
本丸と詰めの城の間の堀切。八王子神社→馬冷やし12分。

12110506.jpg詰めの城
馬冷やし→詰めの城10分。

12110507.jpg詰めの城北側の大堀切
巨大な堀切だが、写真ではその迫力を表現できない。

12110503.jpg松木曲輪
八王子神社南側の松木曲輪まで戻ってここで昼食。曇りのため残念ながら遠くの眺望は望めず。詰めの城→松木曲輪15分。

12110509.jpg太鼓曲輪
松木曲輪から少し下ったところ(小宮曲輪の南側)に、太鼓曲輪や根小屋を俯瞰できるスポットがある。太鼓曲輪の稜線は樹木で覆われているが、それでも堀切のくびれがいくつか認められる。今回は時間が無いので次回のお楽しみにする。

12110510.jpg御主殿と曳き橋
曳いた橋を収納するだけのスペースが無いのでは?

12110511.jpg御主殿
内部は整備工事中。写真正面奥から本丸へ登る道があるが工事現場を横断できそうにないので今回は見送り。

12110512.jpg御主殿の滝
有名な心霊スポットらしい。

12110513.jpg八王子城搦手口跡
陣馬街道沿いの松竹橋から南へ700mほど入っていたところに八王子城への登山道入り口がある。恩方第一小学校が立てた手づくりの小さな看板が目印。
[2012.11.06(Tue) 11:06] 茨城県外の話題 | Trackback(-) | Comments(6)
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COMMENT

八王子城 by 源五郎
こんにちは。ひづめさん八王子城行かれたんですね。

近日久しぶりに登城しようと思っていたんですが、御主殿内部は整備中なんですか。

この城は大好きで、昔からもう数十回通っています。

正規の搦手道とは別の、上杉方藤田能登守信吉隊が奇襲攻撃したとも言われる、棚沢道という裏の裏口は、かなり険しいですが、滝あり寺跡あり炭窯跡ありのなかなか興味深いルートですよ!

城のある深沢山の麓で、搦手道から分かれています。

by ひづめ
源五郎さん

先日はありがとうございました。
Pさんに続き余湖さんも行かれたようですが、見るだけでは解釈が混乱する遺構ですね。

>もう数十回通って

源五郎さんは八王子城はお得意なのですね。私たちも前々から行きたかったのですが、ようやく念願叶いました。ちょうどガイダンスセンターオープン記念の企画展もやっていて良い機会でした。おまけに1日違いでこの大雨、運が良かったです。初めてでしたのでオーソドックスなルートをとりあえず往復しました。殿の道の石垣と太鼓櫓が心残りなので再度行ってみたいです。

>棚沢道

今、ネットで見ましたが、ものすごい険しいルートではないですか。私たちのような足弱には無理そうです(おまけに私は大の高所恐怖症)。ところで、ここにあるという炭窯跡というのは戦国期の炭窯跡ですか?そんなわけないか。

>搦手口

八王子城管理棟手前の近藤曲輪にある立体地図で搦手口はここら辺りということであの恩方第一小学校の立て札のある分かれ道へ行ったのですが、実際の枡形と古道は現在の道に対してどのような配置になっていたのか、お分かりでしたら教えてください。

>『中城古墳群』

本日確認できました。ありがとうございました。

by 源五郎
こんばんは。

昨夜に書き込みをしたはずですが、なぜかない源五郎です(笑)

>殿の道

ここの脇の段々の石垣は、御主殿付近のちょっと立派すぎるものと違い、古城の雰囲気満点の崩れかけたもので、本来の八王子城を偲べるいいスポットですよ。

>曳橋

アノ立派すぎる橋を曳くわけではなく、真ん中辺りの部分だけを曳いたようです(笑)


>棚沢道&炭窯

足弱ですかいやいや(笑)棚沢道は確かにかなり険しいですが、それゆえに後世の改変をあまり被らなかったようで、炭窯跡、寺跡、滝が幾つかあり、また落城に繋がる奇襲攻撃がここから成されたという伝承と相俟って、当時の面影を非常に残す場所と言えましょう。

炭窯跡は、立地構造、またこの山の歴史的経緯からして、まだ詳しく調べられてはいないようですが、当時のものの可能性が高いということです。
崩壊しながらも、わりと明確で規模のあるものが、山内に複数基あります。
御主殿の滝の上にある水汲み遺構と共に必見ですよ!


>搦手口

枡形は、松竹橋を渡った周辺にあったとも言われています。しかし、搦手方面自体が、大手に比べて調査自体が遅れているようです。

登城道は、橋から集落を抜けながら神社前を通り、深沢山の麓に至る現在の道筋とあまり変わらないものだったと思われます。
往年の屋敷地のような地割りが道筋に残存することや、山麓において、この道から棚沢道や青竜寺の滝があるルートなどが分岐するからです。

ただ、搦手道は、松竹橋から深沢山の中腹に至るまでの道筋に、枡形も含めて防御施設に乏しいのです。
未完成説の由縁でもあるのですが…。

八王子城落城を扱った小説では、防備の不備を補うため、搦手登城道に木の皮を敷き、油を撒いて豊臣方に抵抗したという解釈をしています(笑)

実は搦手恩方方面こそ、城主氏照の元々の本拠地である由井や町場に向けて開き 、そして甲州武田勢の侵入ルートを押さえるという、最初の段階の築城理由が隠れていると言われています。

しかし、大手ルートを新たにそして大規模に整備するほうに力を注ぐ、社会情勢などの変化があったのではないでしょうか。

by ひづめ
>古城の雰囲気満点

御主殿が公務の場としたら、こちらがプライベートな場だったのでしょうかね。当時は山はもっときれいだったとは思いますが、それにしてもこんなきつい斜面に日常の生活の場があったというのは実感が持てません。

>曳橋

渡れなければよいのですから、届かないだけの空間をつくるわけですね。攻め手も長い梯子を持っているでしょうから十分に離さないとならないでしょうが。

>棚沢道&炭窯

当時のものの可能性が高いというのは興味深いです。本丸まで35分ほどかかる足弱の私で、棚沢道はどのくらいの時間を要しますか?道は荒れて迷う可能性ありますか?炭窯跡、寺跡、滝などは歩いていれば分かるのでしょうか?ルート案内のサイトはありますか?

[追記]ここにマニアックなページがありました。
http://homepage1.nifty.com/GOME/8SHIRO/MAIN.htm

by 源五郎
>殿の道

これは、城主が御主殿から要害部に即上がれるためのルートらしいです。私室から山側の庭園などを抜けて行ったのでしょうね。

>こんなきつい斜面に日常の生活の場があったというのは実感が持てません。

確かに。しかも戦国も終わろうというのに南北朝じみたこの要害(笑)
武田信玄に平城の滝山城を陥落寸前までにされたことが、余程堪えたのでしょうか?


>棚沢道&炭窯

道はやや荒れていますが、探訪する方々は少なくないので、道筋はわかると思います。

山の麓で、棚沢道&炭窯&滝と、青竜寺の滝&寺跡の道が分かれていまして、前者は山頂まで行け、後者は滝で行き止まりです。
そして、後者の道は昨年久しぶりに訪れたら、倒木などでかなり荒れ気味でした。

両方見ますと2時間はかかりますかねぇ…。
棚沢だけなら1時間半ぐらいかと。

ルートに関しては、椚国男『戦国の終わりを告げた城-八王子城を探る』(ロッコウブックス)、揺籃社ブックレット『八王子城みる・きく・あるく』が、棚沢道などのみならず、様々なルートや遺構がもっともよくまとめられております。

前者はあまりないかもしれませんが、後者は、八王子城歩きのための最近の冊子なので是非。

これを見ながら行かれる事をオススメいたします。

>マニアックなページがありました。
これは知りませんでした。すごいなぁ(笑)

by ひづめ
源五郎さん

詳しい情報をありがとうございます。

>両方見ますと2時間はかかりますかねぇ…。
>棚沢だけなら1時間半ぐらいかと。

次の機会には、太鼓曲輪と水汲み場と殿の道と搦手口-棚沢ルートを回ってみたいと思います。

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COMMENT

こんにちは。ひづめさん八王子城行かれたんですね。

近日久しぶりに登城しようと思っていたんですが、御主殿内部は整備中なんですか。

この城は大好きで、昔からもう数十回通っています。

正規の搦手道とは別の、上杉方藤田能登守信吉隊が奇襲攻撃したとも言われる、棚沢道という裏の裏口は、かなり険しいですが、滝あり寺跡あり炭窯跡ありのなかなか興味深いルートですよ!

城のある深沢山の麓で、搦手道から分かれています。
[ 2012.11.06(Tue) 12:45] URL | 源五郎 #- | EDIT |

源五郎さん

先日はありがとうございました。
Pさんに続き余湖さんも行かれたようですが、見るだけでは解釈が混乱する遺構ですね。

>もう数十回通って

源五郎さんは八王子城はお得意なのですね。私たちも前々から行きたかったのですが、ようやく念願叶いました。ちょうどガイダンスセンターオープン記念の企画展もやっていて良い機会でした。おまけに1日違いでこの大雨、運が良かったです。初めてでしたのでオーソドックスなルートをとりあえず往復しました。殿の道の石垣と太鼓櫓が心残りなので再度行ってみたいです。

>棚沢道

今、ネットで見ましたが、ものすごい険しいルートではないですか。私たちのような足弱には無理そうです(おまけに私は大の高所恐怖症)。ところで、ここにあるという炭窯跡というのは戦国期の炭窯跡ですか?そんなわけないか。

>搦手口

八王子城管理棟手前の近藤曲輪にある立体地図で搦手口はここら辺りということであの恩方第一小学校の立て札のある分かれ道へ行ったのですが、実際の枡形と古道は現在の道に対してどのような配置になっていたのか、お分かりでしたら教えてください。

>『中城古墳群』

本日確認できました。ありがとうございました。
[ 2012.11.06(Tue) 18:27] URL | ひづめ #MLEHLkZk | EDIT |

こんばんは。

昨夜に書き込みをしたはずですが、なぜかない源五郎です(笑)

>殿の道

ここの脇の段々の石垣は、御主殿付近のちょっと立派すぎるものと違い、古城の雰囲気満点の崩れかけたもので、本来の八王子城を偲べるいいスポットですよ。

>曳橋

アノ立派すぎる橋を曳くわけではなく、真ん中辺りの部分だけを曳いたようです(笑)


>棚沢道&炭窯

足弱ですかいやいや(笑)棚沢道は確かにかなり険しいですが、それゆえに後世の改変をあまり被らなかったようで、炭窯跡、寺跡、滝が幾つかあり、また落城に繋がる奇襲攻撃がここから成されたという伝承と相俟って、当時の面影を非常に残す場所と言えましょう。

炭窯跡は、立地構造、またこの山の歴史的経緯からして、まだ詳しく調べられてはいないようですが、当時のものの可能性が高いということです。
崩壊しながらも、わりと明確で規模のあるものが、山内に複数基あります。
御主殿の滝の上にある水汲み遺構と共に必見ですよ!


>搦手口

枡形は、松竹橋を渡った周辺にあったとも言われています。しかし、搦手方面自体が、大手に比べて調査自体が遅れているようです。

登城道は、橋から集落を抜けながら神社前を通り、深沢山の麓に至る現在の道筋とあまり変わらないものだったと思われます。
往年の屋敷地のような地割りが道筋に残存することや、山麓において、この道から棚沢道や青竜寺の滝があるルートなどが分岐するからです。

ただ、搦手道は、松竹橋から深沢山の中腹に至るまでの道筋に、枡形も含めて防御施設に乏しいのです。
未完成説の由縁でもあるのですが…。

八王子城落城を扱った小説では、防備の不備を補うため、搦手登城道に木の皮を敷き、油を撒いて豊臣方に抵抗したという解釈をしています(笑)

実は搦手恩方方面こそ、城主氏照の元々の本拠地である由井や町場に向けて開き 、そして甲州武田勢の侵入ルートを押さえるという、最初の段階の築城理由が隠れていると言われています。

しかし、大手ルートを新たにそして大規模に整備するほうに力を注ぐ、社会情勢などの変化があったのではないでしょうか。
[ 2012.11.07(Wed) 20:32] URL | 源五郎 #- | EDIT |

>古城の雰囲気満点

御主殿が公務の場としたら、こちらがプライベートな場だったのでしょうかね。当時は山はもっときれいだったとは思いますが、それにしてもこんなきつい斜面に日常の生活の場があったというのは実感が持てません。

>曳橋

渡れなければよいのですから、届かないだけの空間をつくるわけですね。攻め手も長い梯子を持っているでしょうから十分に離さないとならないでしょうが。

>棚沢道&炭窯

当時のものの可能性が高いというのは興味深いです。本丸まで35分ほどかかる足弱の私で、棚沢道はどのくらいの時間を要しますか?道は荒れて迷う可能性ありますか?炭窯跡、寺跡、滝などは歩いていれば分かるのでしょうか?ルート案内のサイトはありますか?

[追記]ここにマニアックなページがありました。
http://homepage1.nifty.com/GOME/8SHIRO/MAIN.htm
[ 2012.11.08(Thu) 12:42] URL | ひづめ #MLEHLkZk | EDIT |

>殿の道

これは、城主が御主殿から要害部に即上がれるためのルートらしいです。私室から山側の庭園などを抜けて行ったのでしょうね。

>こんなきつい斜面に日常の生活の場があったというのは実感が持てません。

確かに。しかも戦国も終わろうというのに南北朝じみたこの要害(笑)
武田信玄に平城の滝山城を陥落寸前までにされたことが、余程堪えたのでしょうか?


>棚沢道&炭窯

道はやや荒れていますが、探訪する方々は少なくないので、道筋はわかると思います。

山の麓で、棚沢道&炭窯&滝と、青竜寺の滝&寺跡の道が分かれていまして、前者は山頂まで行け、後者は滝で行き止まりです。
そして、後者の道は昨年久しぶりに訪れたら、倒木などでかなり荒れ気味でした。

両方見ますと2時間はかかりますかねぇ…。
棚沢だけなら1時間半ぐらいかと。

ルートに関しては、椚国男『戦国の終わりを告げた城-八王子城を探る』(ロッコウブックス)、揺籃社ブックレット『八王子城みる・きく・あるく』が、棚沢道などのみならず、様々なルートや遺構がもっともよくまとめられております。

前者はあまりないかもしれませんが、後者は、八王子城歩きのための最近の冊子なので是非。

これを見ながら行かれる事をオススメいたします。

>マニアックなページがありました。
これは知りませんでした。すごいなぁ(笑)
[ 2012.11.10(Sat) 13:16] URL | 源五郎 #- | EDIT |

源五郎さん

詳しい情報をありがとうございます。

>両方見ますと2時間はかかりますかねぇ…。
>棚沢だけなら1時間半ぐらいかと。

次の機会には、太鼓曲輪と水汲み場と殿の道と搦手口-棚沢ルートを回ってみたいと思います。
[ 2012.11.10(Sat) 21:07] URL | ひづめ #MLEHLkZk | EDIT |

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