TOP
TOP | NEXT

リストマーク 異形の曲輪 塙城 『歴史群像』2009年12月号 

2009年11月09日 ()
0911091.jpgオカちゃんからお知らせいただいたのだが、学研の『歴史群像』2009年12月号で阿見町の塙城が詳しく解説されているのでご紹介します。

0911092.jpg見開きの鳥瞰図に解説4ページと、こんな記事を見せられては中世城郭ファンならばきっと現地を見たくなることでしょう。解説文も詳しく、土岐氏を「内海の領主」として捉え、江戸崎・ 竜ヶ崎・木原の賑わいまで想像しています。0911093.jpgまた、これまであまり話題に上ることの少なかった土岐氏の庇護を受けていた鍛冶集団岡沢九郎兵衛についてまで書かれていて、今後この地域が今まで以上に注目されて来そうな予感も感じさせます。参考文献の筆頭に『図説茨城の城郭』が載せられているのはなんとも恐れ多いことではありますが、同時にありがたいことです。
[2009.11.09(Mon) 21:55] 本のご案内Trackback(0) | Comments(3) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

by オカ
さっそく購入されましたか。私はあの復元鳥瞰図に度肝を抜かれましたよ。ありゃ確かに異形の城ですな。

記事にはちょこっと木原城も出てきていますが、どうせなら木原城の方もメインで記事にして頂きたいです。

by ささぴー
 ここのコーナーで茨城でるとは思っていなかった。記事も詳しく好意的ですし、よかったです。
 また、ひづめ様、ご著書、掲載おめでとうございます。

by ひづめ
オカちゃん、ささびーさん
『歴史群像』のご紹介をありがとうございます。
地元の城がこんなに大きく取り上げられていて驚きました。しかし、地元にいると案外こういうものかと思ってしまっているものの中に、改めて評価し直すべき事はあるのかもしれません。全国的に見ても巨大な木原城とか、全国的に見ても特異な分布密度の戦国土塁群とか、塙城だけでなく、他所の方を驚かすものはけっこうありますね。

コメントを閉じる▲

リストマーク シンポジウム『よみがえる 戦国の城』 聴講記 

2009年11月03日 ()
以前お知らせした常陸大宮市と茨城大学との地域連携事業の企画シンポジウム『よみがえる 戦国の城』を聴講してきた。仕事の都合で午前中の第1部 記念講演<常陸大宮に城が造られた時代>は聞けなかったが、午後の第2部 パネルディスカッション<常陸大宮の城から何が見えるのか>から以降は全部聞くことができた。

会場に着いたのが丁度昼休み時間だったので、隣接する常陸大宮市歴史民俗資料館大宮館で開催中の『館<たて>と宿<しゅく>の中世 ー常陸大宮の城跡とその周辺ー』を駆け足で観覧。城址の解説のために余湖さんとオカちゃんの縄張図がドーンと使われているではないか。

0911012.jpg午後の部、最初に常総戦隊ヤブレンジャーの肩書きで登壇した余湖浩一氏の「山城の歩き方、楽しみ方」は、地元のお城の楽しみ方を分かりやすく伝える良い講演だった。わが家の裏山の城跡をちょっくら歩いてみようかと感じられた方も少なからずいたのではないかと想像する。
[余湖鳥瞰図を使ってお城の楽しみ方を語る余湖氏]

その後、『館と宿の戦国社会 ー佐竹一族と常陸大宮の城ー』と題して、市内6城について詳細な調査報告がなされた。ただ残念なことに各演者の持ち時間が短く、言い足りずにもどかしい思いを残されたのではないだろうか。帰宅後、力のこもったレジュメを読み返しながらそんなことを感じた。

091101.jpg中世の交通・交易が河川と強く結びついていたことを考慮するならば、城に関連する景観として、宿、街道に河岸を加えることは大切だと思う。今回のタイトルは「館と宿」だったが、各報告でも多くが河岸について触れられていて、中世の風景を思い描く上での助けになったと感じた。
[パネルディスカッションのコメンテーター席に座る余湖氏(右から3人目)]

午前の講演を聴けなかったため配布されたレジュメを後で読んで気づいたのだが、酒井紀美氏の講演中、内藤湖南「応仁の乱」についての部分には、故金本正之先生からお聞きした「前期日本人・後期日本人」のタネ本なのかもしれないと思える部分があった。これについては後で調べるつもり。

0911013.jpg参加費無料にも関わらず今回のシンポジウムで配布された資料の豊富さは特筆に値するが、特に各城址周辺の小字、街道、宿、寺社、河岸、関連遺跡、余湖図などが書き込まれた多色刷り現況調査図は、お城好きには感涙ものだった。これを貰ってしまったからには再び行かずばなるまい。

今回のシンポジウム、全体として堅苦しくなく、なかなか良かったと思う。常総戦隊ヤブレンジャーの名称が公式の場で使われたのも画期的ならば、研究発表の場で余湖図と『図説茨城の城郭』が大々的にフィーチャーされたのも画期的だった。『図説茨城の城郭』とは自分たち自身がお城歩きに持って行きたい本を作ったわけだが、それがいまやお城ファンだけでなく、調査・研究をされる方々にも使っていただけるまでに成長したことは、実に嬉しい限りだ。

会場で会った余湖さん応援団のヤブレンジャーは、五郎さん、オカちゃん、ウモさん、ちえぞーさん、Pさん。

最後に、こういう貴重なイベントが開催されることを、主催者である常陸大宮市はなぜホームページで告知しないのだろうか。常陸大宮市に限らないが、多くの自治体のホームページは事後報告はあっても告知はないもどかしさを感じることがままある。
[2009.11.03(Tue) 12:19] 展示会・セミナーTrackback(0) | Comments(6) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

by P
ひづめさん、こんにちわ。先日はお疲れ様でした。
茨大生たちの本気で作られた、とても力のこもった資料の数々、自分も含めたお城好きには大変素晴らしい資料だと感じます。
このような企画が他の地でも行われれば、より理解も深まると思うのですが…
それに関連して、仰るように市のHPでは告知していないのは、市民生活には関係ないとかの理由なんでしょうか?

生憎の空模様でしたが、太田各地も無事に周られたようで何よりです。
また機会がありましたら、お会いできることを楽しみにしております。

by おれんじゃあ
こちらにもご紹介いただきありがとうございます。
本当に、いただいた資料の数々、無料とは思えない立派なものでした。
あれを片手にのんびりと歩いてみたいですね。

常陸大宮市のホームページでは紹介しておりませんでしたか。どうしてなんでしょうね。

でも、資料館前にあった芳名帳面を見たら、けっこう関東各地からいらっしゃっている方が多かったと感じました。
われわれのホームページで紹介していたのが、多少は功を奏しているのでしょうか。

それではまたです。

by ひづめ
Pさん、こんばんは。

私は今日も休日でしたので、レジュメを読み返していました。一日使っても読み切れず、また一方で手持ち資料を引っ張り出して内容の補填をしながらと、その内容が濃かっただけに今だに読み終わりません。完成度に差があると言われるかもしれないパネルディスカッションではありましたが、お城歩きを趣味とする私達からすれば、興味深い資料の数々を提供してもらえてあり難かったですね。

太田旧市街歩き、良かったですよ。

by ひづめ
おれんじゃあさん、こんばんは。

常陸大宮に限りませんが、ホームページで告知したくない理由があるのかなと勘ぐりたくなります。そういう行政の不行き届きを、各個人の地道な活動が補っているのだと思います。

各個人の地道な活動と言えば、『図説茨城の城郭』だって、背伸びはせずに、それでも手を抜かずにということを心がけて作ったからこそ、評価を頂けるものになったのだと感じました。

あの翌日もいくつかのお城を巡りながら、こんな遠方まで何度も何度も足を伸ばしてくれたみなさんの努力があったからだと、改めて感慨を持って薮を掻き分けておりました。

by ささぴー
こんにちは。
いい講演会だったみたいですね。
行きたかったんですが、前日、仙台で戊辰戦争140周年シンポあって聞きにいってました。いい企画って重なるんだよな・・。v-16

by ひづめ
ささびーさん
別のシンポへ行かれていたのですか。これは選択に困りますね。

コメントを閉じる▲

リストマーク 宮城県から山形県のお城巡り(その2) 

2009年10月13日 ()
3日目
山形城
0910061.jpg 二の丸東大手門。通勤通学の自転車がびゅんびゅん通り過ぎて行く。

0910062.jpg 済生館(重要文化財)。東北地方初の医学校兼病院。城内に移築され、山形市郷土館として開放されている。開館時刻前だったが見させてもらえた。
Open↓

幡谷城
0910063.jpg 土塁の上を旧街道が通る。しばらく行くと右手に東部大空堀がある。直江軍襲来に備えて大急ぎで拡幅したのかもしれない。左手ロッジの奥から左へ登ると主郭へ到達する。

 幡谷城はお盆明けに草刈りが行われ今が見頃。

0910064.jpg 箱庭の様にこじんまりとした畑谷の集落。

0910065.jpg 西部三重堀。まぁ、2.5重くらいではあるが山上の多重堀は見応えある。

長谷堂城
0910066.jpg 長谷堂城は多数の段郭で構成され、土塁、堀がほとんど見られないのが特徴。

0910067.jpg 正面の丘に直江兼続軍が陣を張った。

中山城
0910068.jpg 登り口は「小学校跡」が目印。解説板脇から道がついている。途中、30mほど離れた土塁上からカモシカが身じろぎもせずにこちらを伺っていた。

0910069.jpg 主郭にある石垣作りの天守台跡。

 ここまで幸いなことに雨に降られず良いお城巡りができた。

おまけ:材木岩
0910060.jpg 

Close↑

[2009.10.13(Tue) 10:00] ヤブレンジャーお城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 宮城県から山形県のお城巡り(その1) 

2009年10月08日 ()
オカちゃんと宮城県から山形県を回ってきた。私は2県とも全く初めての訪城なので、『歴史読本』2009年5月号「日本の名城都道府県別ベスト10」を参考に、運転手のオカちゃんが無理なく回れそうないくつかを選んでもらった。時折しもNHK大河ドラマ『天地人』ブームにあやかって、、、といった城址もいくつかあった。

■1日目
松島
0910041.jpg 仙台到着が若干早くなったので日本三景のひとつ松島まで足を伸ばした。初日だけは天気が良く、遠方の島々も一望できた。因に、日本三景の他のふたつは天橋立と宮島。

0910042.jpg 松島にはこんなあやしい城が堂々と存在。もちろん、D-oneさんの『あやしい城』にも載っている。そこには、2003年廃業と書かれているが、現在は松島城松島観光ホテルとして営業をしているようだ。
Open↓

■2日目
仙台城 宮城県仙台市
0910051.jpg 本丸東側の石垣。さすがに近世城郭、作事がでかい。中門枡形跡を車がブンブン走り抜けて行く。

 →仙台城跡(仙台市)

高舘城 宮城県名取市
0910052.jpg 高舘城へ辿り着くには、ホームページ『武隈の里』の「高舘山古墳」の頁が参考になる。ただ、城内は薮がひどくて遺構を楽しむとはいかなかった。それでも主郭南東側の虎口は二重枡形のように見えた。

岩切城 宮城県仙台市
0910053.jpg 近くの道が工事中で辿り着くのに時間が掛った割には、草茫茫で遺構があまりはっきりせずいまいち。

姫松館 宮城県栗原市
0910054.jpg 4日ほど前から行われていた草刈りのほぼ終盤時に訪城するという幸運に恵まれた。遺構がくっきり現れ、すばらしい。尾根を寸断する堀切が各所に設けられているが、その多くが二重堀切になっているのが特徴的。

志茂の手館 山形県最上町
0910055.jpg 麓に到着したのがすでに17時を過ぎていたので、辺りはかなり暗くなっていた。昇り口脇の民家の方に挨拶すると「すばらしい遺構があるよ」と言われ、ともかく急ぐ。比高50mほどを一気に登って息は絶え絶え。I郭とその北側の大堀切は昼間見たらさぞ雄大だろう。I郭の西側にII郭があり、その北斜面から西斜面にかけて十本以上の連続畝状縦堀群がある。こんなに暗くなっていては一人なら絶対に行かないと思われるが、勇敢なる二人の後を追いながらII郭北端に到達。そこから一本、二本と畝堀を数えて堀が西向きになったところから一気に下山し下の道路へ無事帰還。正確な縄張図と磁石のおかげで無駄なく回って来られたが、そのころには日もとっぷりと暮れていた。

Close↑

[2009.10.08(Thu) 23:32] ヤブレンジャーお城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 『シンポジウム よみがえる 戦国の城』 常陸大宮 

2009年10月03日 ()
091003.jpg余湖さんの掲示板で紹介されていた、『シンポジウム よみがえる 戦国の城』のポスターをこちらへも転載させてもらいます。日曜日の午後に常陸大宮までか、間に合うかなぁ。

常総戦隊ヤブレンジャーの名称が公式な場で使われるのは今回が初めて。記念すべき余湖さんの講演になるだろう。
[2009.10.03(Sat) 22:41] 展示会・セミナーTrackback(0) | Comments(2) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

来てください by samba
常陸大宮市歴史民俗資料館の職員です(自称学芸員)。ヤブレンジャーの皆さんの御研究、いつも勉強させていただいています。いよいよ今回のシンポジウムでお会いできることになりそうで、大変楽しみにしております。是非おいでください。パネル展示でもヤブレンジャーの皆さんの縄張図を使わせていただいてますが、大変好評です。機会があれば私も城歩きに参加させてください!

by ひづめ
sambaさん
初めまして。コメントをありがとうございます。
シンポジウムにはぜひ参加したいと思っております。午前中の仕事を終えてから大宮へ向かいますので終了間際になってしまうかもしれませんが、お会いできるのを楽しみにしております。

コメントを閉じる▲

リストマーク 奥州衣川を経て北海道積丹小樽函館の旅(その2) 

2009年10月01日 ()
1日目(8月28日)からの続き
 
★2日目(8月29日) 小樽〜積丹巡り〜小樽

▶小樽駅周辺
夜行寝台で札幌に着き、そのまま小樽へ。朝飯前に運河など小樽の街を散策。

0908291.jpg 運河に架かる橋の上から小樽駅方向を臨む。
Open↓

0908292.jpg 運河に面した倉庫群

▶積丹巡り
昼は積丹巡りのバスツアーに参加。
0908299.jpg 

0908298.jpg 積丹岬手前の島武意海岸
  積丹ブルー!

0908293.jpg 神威岬(かむい-みさき)
  息も吸えないほどのものすごい強風。

0908294.jpg 神威岬に設置された旧陸軍の電磁波レーダー跡(だったかな?)。

0908297.jpg 美国でグラスボートに乗船

0908295.jpg 帰路休憩した道の駅スペースアップルよいちには地元出身の毛利衛さんを記念した「余市宇宙記念館」が併設されていたが入館者激減により昨年閉鎖されてしまった。スペースシャトルのオブジェが虚しく放置されている。

★3日目(8月30日) 小樽〜長万部〜函館
0908301.jpg ありふれたアングルでも、ここ七財橋に立って函館山を見上げると、また函館へ来たなぁという気分を深呼吸できる。夜は行き慣れた居酒屋で友と旧交を暖める。

★4日目(8月31日) 函館〜台風の羽田へ〜帰宅
 台風11号が関東へ近づいているという事で、郷土史の師匠のお宅へ伺うもお茶を2杯いただき早々にお暇。ご夫妻のお元気なお顔を拝見できただけでも行った甲斐があった。予定よりも6時間早い便に変更して函館を発つ。着陸困難な場合には函館へ引き返す条件付きの出発だったがそれほどの揺れも無く無事到着。

Close↑

[2009.10.01(Thu) 11:30] 茨城県外の話題Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 多気山城発掘現地説明会 

2009年09月13日 ()
多気山城発掘現地説明会へ行ってきた。発掘調査によるものなんだか既に工事によって崩されたものなんだか、もう随分と改変が進んでいるようで過去2回と印象が違って見えた。

0909131.jpg■最初に全体の説明
 午前の部参加者は155名、午後の部もおそらく100名程度の参加はあったと思われる。3班に別れ団体行動。団体行動の苦手なヤブレンジャーも若干名。
Open↓

0909132.jpg■郭へ向かう
 1班に入って道を昇り始める。とすでに道路が付けられ斜面にもかなり手が入っている。

0909133.jpg■主郭北西部
 画面中央部右の白線に沿って柱列があり、主郭への容易な通行を遮断する塀があったと想像される。

0909134.jpg■2郭西側下の横堀

0909135.jpg■主郭と2郭を結ぶ「馬ノリバ」といわれる馬の背の西側下の堀
 滑り落ちたらアリ地獄!

0909136.jpg■筑波山を正面に見ながら下山
 もう2度とこの城を見られないのだろうな。

0909137.jpg■出土遺物説明
 遺物の特徴は掘った広さの割に少ないことだそうだ。一言でいうと生活感の無い城ということになる。時代的には以下のような物らしい。2郭の前方後円墳周囲からは6世紀前半の古墳時代の埴輪が出土。室町時代のかわらけは現在の形になった多気城とは関係のない人びとの存在を臭わせる。戦国時代のかわらけは非常に数が少ないが、薄手で上品な作りは小田城で出土するものとは明らかに異なり真壁で作られたもの。16世紀後半のものと思われる鍋や火鉢も数が少なく威信材は無いので城主クラスが居城した雰囲気が無い。出土物数が少ない事からこの城が機能したのは短い期間と思われる。

■多気山城は地形的な特徴から茨城県南唯一、いやその工事量も加味すれば茨城県でも有数の山城と言えるが、いわゆる尾根筋を堀切で切断する典型的な山城でなく、むしろ横堀の充実した平地の城を山上に構築するという「天空の城」プランが見える。
 説明会資料には(1)小田氏が結城氏・真壁氏に備えた、(2)佐竹氏が後北条氏に備えた、(3)佐竹氏が徳川氏に備えた、など諸説が挙げられているが、余湖さんや竹さんが指摘されているように『明光院記』に明示されているように天正7年7月に改修されたならば小田氏勢力でない事は明白。佐竹氏あるいはその勢力下で改修された事はほぼ間違いない。
 オカちゃんは「小田氏を小田城から追い出した後、びしゃびしゃの小田城に入りたくなかった佐竹氏が新小田城として築いた城」と見ているそうだ。
 オカちゃん、アオさん、五郎さん、余湖さん、けむしさんなどヤブレンジャーの同窓会のようであり、土浦市の学芸員Iさんご夫妻、その他これまでネット上でしか存じ上げなかったPさん、竹さん、馬念さんなどの方々ともお会いできた。その他、参加者の何人かの方々の手に『図説茨城の城郭』があったのは嬉しい光景だった。

Close↑

[2009.09.13(Sun) 21:28] 調査・発掘情報Trackback(1) | Comments(4) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

by P
ひづめ様、こんばんわ。Pであります。
今日の現説はお疲れ様でした。最初で最期の登城でしたが、素晴らしい遺構を見ることができ、大変満足した1日でした。
また、ひづめ様始め、普段ネットでしかお話できないような方々とも初めてお会いできたことも、なによりうれしい事でした。
また機会がありましたら、お会いしたいですね。

by ひづめ
Pさん
今回の現説では、若い世代の割合が若干多く感じられました。そして歴女もいましたね。ともに頼もしい傾向です。
『図説茨城の城郭』の茨城城郭研究会とは別の集まりですが、茨城城郭会というのがあります(私の他メンバーは一部ダブっています)。こちらでも月例オフ会をしていますので、機会がありましたらどうぞ。
http://www4.ocn.ne.jp/~isiro/

by 竹
昨日はお会いできて光栄でした。ヤブレンジャー大集合な会でしたね。
縄張図ですが、おっしゃる通りに、野口氏元図にひづめさん追加・補正、ということで掲載させて頂こうと思います。まぁ結局なんで佐竹が築いたのか、さっぱりわからないんですが…(笑)
またTBさせて頂きました。今後ともよろしくお願いいたします。

by ひづめ
竹さん
 昨日はお名前だけ存じ上げていながらお会いしたことの無いという方に大勢お目にかかれる良い機会でした。Pさんへのレスにも書いたのですが、想像していたよりもずっとお若い方であったのがたいへん心強い印象でした。文献にお強い竹さんには県南の中世史をあっと驚かすような史料を見つけていただきたいと思います。
 昨日はあまりお話しする時間がありませんでしたが、また近辺でのオフ会などでお会いしたいと思います。『図説茨城の城郭』の茨城城郭研究会とは別のグループ(私のように一部は重なってはいます)で茨城城郭会という集まりもあります。機会がありましたらこちらのオフ会にもご参加ください。
http://www4.ocn.ne.jp/~isiro/

コメントを閉じる▲

リストマーク 多気山城発掘現地説明会 無くなる前に見に行こう! 

2009年09月09日 ()
090909.jpg多気城発掘現地説明会
  2009年9月13日(日) 
    1回目:10時30分〜 
    2回目:13時30分〜
 問い合わせはつくば市出土文化財管理センター(電話029・867・4757)へ。

つくば市北条の山城、多気山城(=多気城)は近い将来かなり大々的に改変されそうで、それに先立って記録保存のために現在つくば市教育委員会が発掘調査を行っている。今回、土塁などの調査によって16世紀後半に佐竹氏の手が入っている可能性が明瞭になり、これまでの説が裏付けられたことになる。
[写真は小泉館から見た多気城の城山(2003年1月2日)]
 →毎日jp2009年9月9日記事
 →常陽新聞ニュースのコピー
 →東京新聞TOKYOWebのコピー
ともかく、みんなで現説へ行こう!

[追記]集合場所情報は茨城城郭会掲示板No.906に書きました。参考にしてください。
[2009.09.09(Wed) 18:41] 調査・発掘情報Trackback(1) | Comments(4) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

行きます by 竹
初めまして。余湖HPで時たま顔を出すものです。
私も第二回に参加予定です。余湖掲示板で話題を振りましたが、文献史料がありまして、現在執筆中です。出土遺物も16C後半ということらしいので、これでおおよその歴史的位置が明らかになりそうですね。初めて見るのでとても楽しみです!
TBさせていただきました。

by ひづめ
竹さん、初めまして。
余湖さんの掲示板でお名前は存じておりました。
多気山城について文献史料を使った論考を書かれているとのこと、今回の発掘結果はそれの後押しになったでしょうか。発表されましたらまたお知らせください。
多気山城については余湖さんも「小田天庵と藤沢城」の最後で取り上げられていました。
http://homepage3.nifty.com/yogokun/hujisawayurai.htm
多気山城は県南随一の山城で造作の規模も大きくすばらしい遺構ですし、常陸国の戦国史にとって重要な意味を内包している城址です。別の目的のために改変が予定されているとのこと、実に勿体ないことだと感じています。
TBの件、済みません、設定がきつくなっていたためか届いていないようです。再度送信してみてください。

by 竹
TBありがとうございました。
どうも明日は天気も大丈夫そうですし、楽しみです。
論文のおおよその内容は、余湖さんがご指摘されていることくらいしか出来ませんが、発掘調査の成果と「再興」というキーワードから、もうちょっと突っ込んで考えてみたいと思っています。
また、『図説』の縄張図を拝借するかと思います。ちゃんと出典と作成者のひづめさんのお名前も明記しておきますので。
私有地なのでいろいろと難しいでしょうが、出来れば津久井城のような素晴らしい自然と文化・歴史が一体となった公園として整備してほしいものです。

by ひづめ
竹さん
TBを受けることができました。竹さんのブログは後日じっくりと読ませていただきます。
ただいま我が家のある茨城県南には大雨が降っております。明日の多気山城20分登城コースは足元が悪そうですよ。
『図説茨城の城郭』の多気山城の図をお使いくださるのはありがたい限り。この図は私の作品というよりも、陰の功労者野口さんの図をお借りしたものなので、面倒くさいでしょうがそれが分かるキャプションでお願いいたします。
明日は午後の部にヨメさんその他と参加予定です。雰囲気でお気づきの際はお声をおかけください。

コメントを閉じる▲

リストマーク 奥州衣川を経て北海道積丹小樽函館の旅(その1) 

2009年09月03日 ()
★1日目(8月28日) 出発〜一ノ関・衣川・平泉〜盛岡〜夜行寝台で札幌へ

0908281.jpg 出発の朝、東の空に明けの明星が輝いていた。
Open↓

▶衣川歴史ふれあい館
 定期観光バス義経号に乗る前に歴史ふれあい館へ行ってこの地域の歴史をざっとおさらい。解説員の方に時間が無いことを告げダイジェストで説明してもらう。安倍氏、清原氏、奥州藤原氏、前九年の役、後三年の役などのややこしい歴史を再確認できた(この辺りの歴史は何度聞いてもその度に忘れる)。この歴史ふれあい館。駅からちょっと離れているが寄ることお勧め。
 →衣川歴史ふれあい館ホームページ

▶定期観光バス義経号
 衣川・平泉は岩手県交通の定期観光バス義経号に乗ってお気楽ツアー。

(1)柳之御所資料館
0908282.jpg 国指定史跡柳の御所発掘現場に隣接している。生憎の雨のため駐車場から堀跡を写しただけ。
 →柳の御所資料館ホームページ

(2)中尊寺
0908283.jpg 安倍氏の本拠であり前九年の役の戦場となった衣川が北上川へ注ぐ河口を中尊寺中腹より臨む
 →中尊寺ホームページ

0908284.jpg 中尊寺本堂

 有名な金色堂は保護のための覆い堂の中に収められていて、外から写真を写してもつまらないのです。

(3)毛越寺
0908285.jpg 残存遺構が少ないと言われるが、境内全体が庭園のようだ。
 →毛越寺ホームページ

(4)達谷窟毘沙門堂
0908286.jpg 坂上田村麻呂がこの洞窟にいた蝦夷を討伐した記念に建てたお堂と伝わる。
 →達谷窟毘沙門堂ホームページ

(5)厳美渓
0908287.jpg 栗駒山を水源とする磐井川中流の渓谷。川底には甌穴の発達が顕著。名物は「かっこう団子」。渓谷の休憩所に設けられた籠に代金を入れて合図の板を叩くと、対岸の店からワイヤーロープで籠を引き寄せ引き換えにだんごと茶を送ってくれるという。このときはすでに売り切れの赤い旗が立ってしまっていて、飛んで来る団子を見られなかった。
 →Wikipedia厳美渓

▶一ノ関駅周辺散歩
一ノ関城
0908288.jpg 盛岡地方裁判所北側の残存土塁。

 福祉センター脇の一ノ関城の解説版を眺めていると犬を連れた大林宣彦監督のような髭のご老人が「裁判所のあの建物とその建物の間に土塁が唯一残っているよ。磐井川の堤防側から見るとよく見えるよ」と声をかけてくれた。こちらから尋ねもしないのに、土塁好きに見えたのだろうか。
 →「一関城」検索結果

▶盛岡駅周辺散歩
0908289.jpg 盛岡城 本丸-二の丸間の堀

 曇っていたこともあり盛岡駅に着いたときにはすでに薄暗くなりかけ。盛岡城まで駅から1kmほどなので歩いて行く。本丸に着いたときはもう真っ暗。北側の桜山神社の脇に降りた時、道の反対側の馬出状の一画が妙に懐かしく感じられた。ここは『鳥瞰図作成過程』の鳥瞰図画家konatuさんがツバメの視線で丹念に描かれていたあの場所ですよ。時間があればどこかの店で一休みしたかった。
 →「盛岡城」検索結果

盛岡駅で夕食を済ませ八戸、青森と乗り継ぎ急行寝台で札幌へ。以下、その2へ続く。

Close↑

[2009.09.03(Thu) 21:56] 茨城県外の話題Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

by konatu
一関城なんてあったんですね。伊達藩の城ですか?
盛岡城をご覧になったのですね。
あの城は高知城と似ているそうなんですが、どこが似てるんですか?

by ひづめ
konatuさん

一関城の説明板を要約すると、

一関藩は宮城県岩沼の領主であった田村氏が仙台藩から三万石を分封され、大名格を与えられたのが始まりです。初代は田村右京太夫建顕で、入部は1682年(天和2)5月2日。以後、明治維新まで185年、一族11人が一関藩主を担ったため別に「田村藩」と言われました。

とあります。

高知城と盛岡城は似ていると言われるのですか?私には分かりませんので、余湖さんが描いた鳥瞰図を見比べて下さい。
盛岡城
http://homepage3.nifty.com/otakeya/ouu/morioakajo.htm
高知城
http://homepage3.nifty.com/yogokun/kouti.htm

コメントを閉じる▲

リストマーク 近日更新 

2009年08月31日 ()
東北から北海道道南を回ってきました。近いうちにその報告をします。
[2009.08.31(Mon) 23:17] 管理人よりTrackback(0) | Comments(2) 見る▼
↑TOPへ


COMMENT

楽しみにしております by konatu
東北は何処のお城を巡られたのか存じませんが、
盛岡では天守を造るのか造らないのかなんて議論が未だに出てきますよ。
図書館の跡地の活用とかとセットで近々、城跡に変化がありそうです。

by ひづめ
konatuさん、こんばんは。見ていて下さってありがとうございます。
時間があったらお会いしたかったなぁ。ってわけで、乗り継ぎの関係で盛岡に夕方着いて数時間あったので盛岡城まで歩いて往復しました。お城に着いたときには真っ暗でした。桜山神社脇へ降りた所で、向かい側の一画がkonatuさんがツバメの視線で細かく描いていられたあのエリアだと気づき一巡りしてきました。飲み屋がたくさん寄り集まっていて、街の活気を感じることができました。
天守建築については、お金がかかる事を納得の上で復元天守を作る心構えがあるのか、世間の笑い者になるようなインチキ天守でお茶を濁すのか、どういうものを作るのかを十分議論して欲しいですね。

コメントを閉じる▲

リストマーク 木原城 茨城県のお城ランキング2位 

2009年08月01日 ()
090731.jpg 我が村の図書室の司書さんたちは本当に働き者で、いつも資料探しでお世話になっている。先日も頼んでいた本のことでお話をしていたら、「『歴史読本』のお城ランキング、茨城県内で木原城が2位になってましたよ」と教えてくれた。で、その号を借りてきて読んでみた(おお、目立つようにリボンまで貼ってくれている)。

 『歴史読本』2009年5月号 新人物往来社 1090円

 ランキングを決める項目と数値化の基準には若干の疑問点があるにせよ、これまで一部のお城ファンには絶大な評価を得ている木原城ではあったが全国レベルで紹介されるのは初めてと言っても良い画期的な出来事ではないだろうか。

 長年地道な調査をされてきた大竹房雄先生はじめ地元の研究者・先輩方、城址の公共的活用・城山まつりなどのイベント開催を通じて地域のシンボルとしての認識を定着させるべく尽力された上野武雄前美浦村長、茨城城郭会やヤブレンジャーによる散策会の開催、ちょっと宣伝させていただくならば『図説茨城の城郭』の刊行、そうしたいろいろな機会を通じて次第に知名度が高まって行き今回全国規模で紹介されるまでになったのだと思う。
 その他茨城県のランキングについて、6位の牛久城については最近の薮刈りの様子をご存知であったならばおそらく木原城を抜いて2位を確保したのではないだろうか。また、「やや見学しにくいのが難点だが」と付した上でつくば市の多気城山城を10位に入れてくれたのは中世城郭研究の立場からのせめてもの抗議だったのだと思いたい。

[追記]借りた本は図書室へ返却し、2冊購入すべく注文しておいた。一冊は大竹師匠へのプレゼント。
[2009.08.01(Sat) 00:44] 本のご案内Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 佐倉周辺オフ会終了 

2009年07月21日 ()
茨城城郭会定例7月オフ会は海の日の7月20日、千葉県佐倉を中心に周辺の本佐倉城、佐倉城、歴博、臼井城、師戸城を回って行われた。参加者は山崎さん、けむしさん、赤飯さん、芦名さん、たかしさん、ひづめ、ひるね。

090720.jpg 本佐倉城 佐倉城で集合した後、まず最初はここ本佐倉城から。前回ここを訪れたのは2002年2月19日。その後国指定史跡となり発掘も徐々に進んでいる。ここでたかしさんが待ち伏せしていて飛び入り。写真は東山馬場付近。この後、南側の向根古屋へ移動して馬出を見る。

0907202.jpg 佐倉城 前回来たのは2001年2月6日。そのときは冬枯れの馬出に雪も残っていた。写真は本丸南側下の出丸と水堀。

0907203.jpg 佐倉城武家屋敷 歴博で昼食を食べ常設展を見学した後、佐倉城周辺を武家屋敷まで歩く。

0907204.jpg 臼井城 前回来たのは2002年2月19日。円応寺側からアプローチしたのは初めて。ここまで佐倉城周辺をそうとう歩いている一行には急な階段がちょっと応えたか。写真は本丸から臨んだ印旛沼。次ぎに行く師戸城は左手木立の向こう対岸。

最後に日の暮れかかった師戸城をざっと見て佐倉城へ戻って解散。
[2009.07.21(Tue) 21:31] ヤブレンジャーお城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 常陸大宮の城跡関連企画 ご案内 

2009年07月03日 ()
余湖さんの掲示板に案内が掲載されました。

鵯 シンポジウム「よみがえる 戦国の城」
鵺 特別展「館〈たて〉と宿〈しゅく〉の中世―常陸大宮の城跡とその周辺―」
鶚 ヒストリー・ツアー「常陸大宮 戦国の城 を歩く」

「茨城城郭研究会」も協賛してます。また、こういう公式の場に「常総戦隊ヤブレンジャー」の名称が登場するのは初めてかもしれません。

開催は10月以降でまだ先ですが、詳しくは余湖さんの掲示板No.8408および余湖さんの作った常陸大宮市・茨城大学地域連携事業のページをご覧下さい。

[2009.07.03(Fri) 21:53] 展示会・セミナーTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 牛久城 

2009年06月29日 ()
090629.jpg 阿見町のO先生から「トマトを捥いだので取りにおいで」と電話を頂いた。トマトをもらって帰るだけではなんなので牛久城へご案内した。先生が初めて牛久城を見た頃は郭内は畑だったので現在のような感じだったらしいが、その後県史などの調査をする頃にはすでに薮になっていたため、現地にある説明板の縄張図を描くときには全体のイメージは昔の事を思い出しながら描いたそうだ。0906292.jpg
82歳を越えているというのに相変わらず足は達者で、今日は城壁を登ったり降りたりはしないだろうと思っていたのは甘かった。
[2009.06.29(Mon) 18:36] ヤブレンジャーお城情報Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


リストマーク 場繋ぎ記事 

2009年06月28日 ()
ネタが無くてコマーシャルが出てしまいました。それを消すためにこの記事を取りあえずアップしておきます。
[2009.06.28(Sun) 21:39] 管理人よりTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
↑TOPへ


TOP | NEXT

周辺地域のイベント情報

PROFILE

CATEGORY

ENTRIES

COMMENTS

TRACKBACKS

『図説 茨城の城郭』
  茨城城郭研究会編著 2940円

リンク集(クリック→)

過去ログ(クリック→)

カレンダー  

『藪ログ』内で検索

RSS

LINK LIST

Powered By

COUNTER